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お節介な善意の大衆たち

お節介な善意の大衆どもは氏ねばいいんじゃねーの。あるいは、みのもんたは腹を切って氏ね、という話。 - elegantly cruel. @ d.hatena[↑B]
この記事を読んで、ネットみのもんた問題に繋がってるのかな?と思ったので書いてみる。
お節介で善意の大衆どもは生きろ - 不動産屋のラノベ読み[↑B]

 だから、政治家の不正があったときに感情を殺して「僕はそういうのは嫌いだな」とか生ぬるいこと言ってないで、「それは間違っている!辞職しろ!」と損得勘定抜きで怒り爆発させるお節介で善意の大衆が一定以上必要なのかもしれない、と感じます。

最初の記事に対する反応なんだけど、これは損得勘定も何もないんでは? 自分自身が政治家でもない限り、政治家に辞職しろという事で、言う側にリスクはない。逆に、損得がないから、好き放題に言えるということに対して、elegantlycruelさんは違和感を感じているのではないだろうか。
で、Lhankor_Mhyさんが言うように、一定の善意がなければ、社会の変革はないだろう。ただ、ネットという低コストによる情報発信が可能になったので、善意の暴走が起きやすくなり、公開私刑などの事態が起こる。どこまでいったら公開私刑なの?という線引きは難しいが。
elegantlycruelさんの記事を自分なりの解釈すると「公憤という大義名分で、他人を断罪するという娯楽に酔いしれている人たちは死ねばいんじゃねーの?」だと思った。


って整理してみたら、ネットみのもんたと関係なかった!!
自分がネットみのもんたと称している人たちは、公憤という大義名分で他人を断罪する人たちではなく、もっと個人レベルの人間関係に関与するからだ。
個人レベルの人間関係におけるお節介を否定する気はない。というか、お節介にかかる高いコストを支払う気があるのなら、どんどんやって欲しい。問題はコストを支払う気がない人たちだ。ネットにおいては、言論だけで済むし、しかも相手に継続してコミットする気がなくても、お節介はできる。低コストでお節介ができ、かつ自分の自由で継続するかどうか決められる。ネットみのもんたには、そのような無責任さがある。