ARTIFACT@はてブロ

最近はオーディオブログです

ネット上において「逃れないほどの同調圧力」は発生するのか?問題

ぼくはその方法でサバイバルしたくないんだ : ひろ式めもちょう
「別の同調圧力が出来てるだけじゃない?」というこの記事を読んで、昔書いた
ARTIFACT ―人工事実― : ネットは多様性を生むという幻想が終わった時代に
という記事を思い出した。
で、ブックマークコメントを見直したら、こんなコメントが。

# 2006年02月08日 tks_period tks_period ネット, 文化, 人間 うーん、私はそうは思わないな。同調圧力ってのは逃げ場がない時に生まれるもんでしょ。事実上無限に近い逃げ場がある環境ではコロニー化してたまに小競り合いが起きる程度じゃ? コロニーの大小はあるだろうけど。

ネット上においては無限に近い逃げ場があるので「逃れないほどの同調圧力」が発生しないという指摘
ネットの意見相互調整機能に個人は抵抗できるのか? : ARTIFACT ―人工事実―
この時もコメントなどで似た指摘があった。
考えてみたのだが、Amazonのレビューみたいな一カ所に集約されていると、こうした同調圧力は発生しやすいのではないだろうか。はてななら、はてブのコメント欄でもいいけど。意見相互調整機能の記事でも例に出したが、2ちゃんねるのスレというのは一つの場所で、そこから外に出れば自由に書けるけど、中では書けなくなってしまう。場というのは、確かに無限大に存在するが、一定数の人間が集まらないと場としての存在感は発生しない。いくら逃げられても、場としての存在感がなければ、結局無視されてしまう。
アンカテ(Uncategorizable Blog) - 「集合愚をスルー力」の価値

人間の心性として集団に流される傾向があることは否定できませんが、何を「圧倒的」と感じるかという感覚は、ツールの活用を含めて調整できる余地があると思います。
多種多様な意見が全体として一つの方向を向いている時にだけ「圧倒的」と感じて、炎上したブログのコメントのように、数はたくさんあっても中身がある意見が少なくて、大半が同じこと言っている場合にはそれを「一件」としてカウントしてしまうような感覚を身につける。

そもそも「同調圧力」を感じる部分からいじってみようという考え。ここのコメントにも書いたけど、ネットなんだから、システムで見せ方を変えれば、「同調圧力」と感じる見る側の意識を変えられそうだ、と環境管理型権力な発想をして、話を終わらせる。