ARTIFACT@はてブロ

最近はオーディオブログです

『ぼくたちの洗脳社会』を好きな人が「映画の力なんて大したことがないんだ!」と主張する不思議テクニック

映画の力と馬鹿な大人
http://deztec.jp/design/06/02/26_life.html
私は映画にせよ何にせよ、それほど期待していないからなあ……。何かの役に立つと思って映画を見せたがる大人のことを「やっぱ人間って、歳をとると馬鹿になるのかね?」と思ってたあの頃(いつ?)の気持ちを思い出そう! 「ホテル・ルワンダ」を観賞して感動するのは、最初からその主張に共感するところのある人だけでしょう。だから、嫌韓の人は、嫌韓の心情に影響しない形で都合よく感動する。それだけのことです。

絶叫機械+絶望中止 - 「エンタテインメント」は免罪符ではない。
http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20060227#p1

大体麻草さんが批判していることに同意なんだけど、ちょっと補足。
徳保さんの記事中の「映画」というのは、映像やら書籍やら音楽やら、人間の表現活動に置き換えられると考えられる。そうした表現活動が他人に与える影響はない、人は読みたいようにしか読まないんだという話だと読んだ。
徳保さんは岡田斗司夫氏の『ぼくたちの洗脳社会』(ISBN:4022612444*1を評価してる。*2だからこそ、自分が良いと思っている書籍のレビューをAmazonに投稿していると以前書いていた。しかし、今回の記事の主旨と、ちょっとした表現活動でも他人に影響を与えられる(書籍の中ではこれを「洗脳」と表現している」と主張している『ぼくたちの洗脳社会』は明らかに対立している。
徳保さんは、たまたま見かけた機会を使って「表現が他人に対して与える影響なんて微々たることを知っており、他人が変わることを期待していない俺は賢い」という優越感ゲームをやっているだけなんじゃ? ジャーゴンでいうと「猫知り顔」っぽい。
そもそもブログなどで人に言葉を伝えようとするのは、他人に影響を与えようとしている行為だ。そういう行為をしている人が、他人に与える影響なんて微々たるものだと最初から卑下していたら、閲覧者はそんな人の言う言葉に影響されるのはイヤだなあと思ってしまうのでは。岡田斗司夫的な「洗脳力」を自ら下げてしまう。
徳保さんの記事で、「読みたいように読む」例として挙げられているのが子供だから、「子供は読みたいようにしか読まないね、今回問題になった人もそういう子供なんだよ」というのが主張ならわかるんだけど。

*1:http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/bokusen/mokuzi.html

*2:適切なリンクがなかったので省略。でも検索すれば評価している記事がたくさん出てくる