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ブログファイトクラブ

ファイト・クラブ [DVD]
ブログは不幸や怨念の増幅ツールじゃない - ekken[↑B]
ファイトクラブ』という映画がある。チャック・パラニューク氏の同名小説を映画化したもので、自分はこの映画が大好きなのだが、これに出てくる「ファイトクラブ」というのは、お互いに殴り合い、痛みを感じることによって、自分が生きていることを実感する。
ネットにおいても、(言論として)相手を殴って、相手が返してくることを目的としている人はいる。殴り返されることで、生きている実感を感じる訳だ。
ただ、オリジナルのファイトクラブは、お互いに殴り合うことを了解した同士でやるので問題にならないが、ブログファイトクラブは、了解してない相手に絡むという点が違う。
いきなり殴られた方としてはたまったものでないが、理不尽な言いがかりだと思うのなら、相手にしなければいい。荒らしはスルーという対処方法もそうだろう。他の言葉でいえば、こういう人は構ってちゃんなんだし。
なお、ソーシャルハックして相手の生活に影響を与えようとしているのは、上で言うような「言論で殴る」を越えているので、司法の手に委ねるしかない。
えっけんさんは、攻撃的な記事を書いている本人にプラス作用が見られないと書いているいるけど、本人の心理としてはファイトクラブ的に充実しているんではないだろうか。もちろんこれは推測だが
※関連
非モテの戦は負け戦 −非モテは何を求めるのか− - ネット硬派系[↑B]

じゃあ、本当に何を求めているのか。それは一心不乱の殴り合いと相手に蹂躙されることだ。非モテがいくら殴っても効果はなく、そしてモテ・非非モテに殴られ続ける。分の悪い殴り合いの中での殺伐とした空気、悲壮感、絶望感、寂寥感。そして、そこから得られる強烈な自己愛とヒロイズム、狂気。これこそが非モテを満たすものだ。狂気のような恋愛感情など必要ない。

「非モテ」と「見境なくブログに攻撃コメントする人」の共通点 - 分裂勘違い君劇場[↑B]

次に、「非モテが一心不乱の殴り合いを求めている」には、基本的に同意なんですが、補足事項がつきます。たしかに、非モテは殴り合いを求めています。しかし、ぼくに言わせれば、「彼らは殴り合い自体」を求めているわけではなく、「敵として認められることで素通りという最悪状態を脱出しているという実感」を得る手段の一つとして、「殴り合い」を求めているのだと理解しています。

そして、「相手に蹂躙されること」すらも、彼らにとっては快感になりうるので、基本的には同意です。ただ、「相手に蹂躙されること」それ自体は、あまり求めていないと思います。非モテの方々の名誉のために言っておきますが、彼らは別にマゾヒストではないと思います。ただ、相手から強烈な攻撃をたくさんくらうということは、それだけたくさん相手をしてもらっているという実感がわくわけなので、そういう間接的な意味では、蹂躙されることも快感なのだと思います。

適切な解説だと思ったので引用。「俺に絡めよ山形浩生