承認願望を刺激させるためには人が多くないといけないので、CGMの場の人が減ったところで終了。
この記事を読んで、タイトルのようなフレーズを思い付いた。
OSAKA ELECTRIC AND ROCK DIARY:「他の誰でもない私」のコンテンツ化。そしてその消費 - livedoor Blog(ブログ)
ちょうど、経済の世界でありとあらゆるものが証券化されていったように、自分達の欲望というものがどんどんコンテンツ化されていってるような気がする。(それは2ちゃんねるのスレッドがドラマ化されて「電車男」になったことに象徴されている)
言うなればこうやってblogに書くことすらコンテンツ化しているということなのだろう。そしてその中の優れたものがどんどん消費されていく。
自分の承認願望がひょっとしたら消費物になるという道筋があるということが示されてしまった。だから、世界のどこかでケータイ小説でミリオンセラーを狙う少女がいたり、myspaceに黙々と作った曲をアップし続けるミュージシャンがいるのだろう。
なんとなくそういうサイクルのようなものから違う道を探そうという気持ちでこういうことを書いてらっしゃるとしたら、自分もそれには消極的に同意します。
「自分の承認願望がひょっとしたら消費物になるという道筋があるということが示されてしまった」これは麻薬だよなあ。
初期にケータイ小説を書いていた人たちは、ミリオンセラーになるなんて考えないで、ただ読者からの反応が楽しくて書いていたんだろうけど、今ではそんな純粋にはいかないだろう。あと、著作権侵害物のアップロードも、この承認願望の延長だし。
※上の記事の補足
OSAKA ELECTRIC AND ROCK DIARY:コンテンツ大量高速消費時代の負の側面について - livedoor Blog(ブログ)