もう3ヶ月前の記事だけど、反応を書きかけていて、いつアップするか考えていたんだけど、ちょうどはてな村話が話題になっていたのでアップする。
草日記 - はてな村に対する批判こそが、はてな村の存在を確かなものにする
あなたがはてな村に参加するならばあなたを村民としてはてな村は存在するし、あなたがはてな村をスルーするならばあなたとは無関係にはてな村は存在するし、あなたがはてな村を批判するならばはてな村はそれによってよりいっそう強固に存在する。
論点をより抽象的に言い直す。ウェブ上の曖昧模糊とした「村」は、それに対する批判によって、その存在を確かなものにする。ウェブ上に転がるテキスト情報。個々の発言、個々のブロガー。ここにいかにして村が発生するか? 仲のいい人たちが集まる、というのは、まあ当然の条件。非常に効果的にその村の輪郭を浮かび上がらせるのは、「ぼくたち村民!」という肯定的な発言ではなく、「あいつら村を作って、他人を排除してるよな」という否定のほうではないのか?
ちょっと一般論。ブロガーAさんとブロガーBさんが言い争っている。各々に賛同するブロガーがいる。これが「党派的な戦い」に見えてくるのは、「党派性うぜー」という非難によってではないか? そうした非難は多くの場合、党派を解体するよりは、「へえ、そんな党派が戦ってるんだー」と、党派をより強固なものにしはしないか?
はてな村話から始まって、特定の集団を浮かび上がらせるのは、集団を自称する言説よりも、その集団を否定する言説ではないかという話は同感。最近自分が考えていたこと*1と関連しているので興味深い。東浩紀氏も過去に似たようなことを言っていたそうだ。
波状言論::はてな出張所 - 考える・2
*1:「内輪だということを指摘したがる人ほど、内輪を作りたがってる」という話