ARTIFACT@はてブロ

最近はオーディオブログです

「ネットで争うのが好きなのは男性も女性も同じ。でも動機が違う」の続き

ARTIFACT@ハテナ系 - ネットで争うのが好きなのは男性も女性も同じ。でも動機が違う
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050925/netbattle
自分が書いたものは「女は男を批判できない」という本題への批判ではなくて、あくまでコメント欄の「男の人って批判したり議論したりするのが好きねー」というkmizusawaさんの発言に対して、前にも「男の人は争いが好き」という発言があったのを思い出し、いやいやそんなことありませんよ、と反論したかった。
kmizusawaの日記 - おっと忘れてた
http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20050925/p1
それに関しては、もともとの発言者であるkmizusawaさんの文章を読んで、大体納得したんだけど、波紋が多いので。
次世代情報都市みらいBlog 男性もジェンダーの再生産に加担する
http://www.mpedia.net/blog/archives/2005/09/post_37.php
上に書いたように本題の「女は男を批判できない」への批判はしてないつもりだったので、批判としてリンクされるのはちょっと不本意
ただ「議論」という理性の問題と「攻撃性」という感性の問題を分けて考えるべきという指摘は納得した。
kmizusawaさん自身はあくまで「議論」「批判」と理性的な面を指摘しているのだけど、「男の人は争いが好き」という発言は「議論をする」という行為に「攻撃性」を見ていて、自分はそれに対して、いやいや女性も攻撃性はありますよ、と言いたかったと整理できる。自分が挙げた例は「議論」ではなく「攻撃性」を発揮しているものばかりだったし。
嗚呼女子大生活 - 女は男を批判してはいけないし、批判できない。
http://d.hatena.ne.jp/chidarinn/20050924/p1
自分の意見を明確にするために、「女は男を批判できない」というこの意見に対しても書いてみる。
ネットでの議論で、たまに男性で女性から批判されたとなると態度を急に変える人がいる。そういう人はうわー議論できない人なんだーと軽蔑するけど、ネットで議論をしようという人ならそういう意識はある程度共有されているのではないか?
問題にすべきは、議論において、そういった性差を第一に考えることだ。そういう意味では、次世代情報都市みらいBlogの齊藤貴義さんが指摘するように、男性側が「この人は女性だから批判するのはやめよう」と考えるのも問題なのだろう。
ただ、上の『「人の間違いを指摘する必要はない」について』で書いたように「世の中には議論をしたくないけどとにかく意見を言いたい」という人がいて、それを見極める際の材料の一つとしてその人の性別を見ている時はある。もちろん、過去ログや過去のコメント欄を見れば、性別は考慮せずに、判断できるんだけど、コストが高い。楽をするために性差で判断している時がない訳ではない。
「議論をする時に男性も女性もない」と第一に考えているけど、議論(批判)を開始する時には様々なコストがある。軽く批判できればコストは低いが、しっかりと批判を書かないといけないのならコストは高い。議論するなら有意義なものにしたいと皆願っているし、特にコストをかけたのなら、特にその願いは強くなる。批判を書くといったコストを有効に利用したいと考えた時に、議論を始めるか否かを判断する際、相手を見極める材料の一つとして性別を見るという行為を自分は否定しない。
※上の文章の「批判をする時に…」は、わかりにくいところがあったので細かく修正した。
で、こういった「コスト意識」から女性は議論をしないという考えもできる気はした
某青年科学史家の暴言録 - chidarinnさんの「女は男を批判してはいけないし、批判できない」
http://d.hatena.ne.jp/kenjiito/20050927/p2

うんにゃ、男も女も、原則として他者を批判すべきではない。批判すべきことがあれば、他者の言説であって、他者自体ではない。他者の人格や知能や態度や行動を批判するのはよっぽどの場合である。
って、ただの揚げ足取りか?w
しかし、この区別は一応重要だし、これを区別すれば、かなり問題はすっきりする気がする。そもそも「女が男を批判すべきでない」というような考え方自体が、言説の批判と言説者の批判の混同に根ざしているように思えるし。

こちらの指摘はわかりやすかったのでリンク。
蓬窓日記
http://d.hatena.ne.jp/tamadareaoi/20050927/1127791547
今回書いたものは、上で書いたように、最初の動機が「男性は議論とか争い好きねー」という決めつけに対しての反論だった。もともとが男性の一部の声の大きい人たちに対する印象論なので、それに対して自分も女性の一部の声の大きい人たちに対する印象論になってしまっている面は否めない。
引用された「争う動機」として書いた部分は、オマケの仮説のつもりで書いたつもりだったので、荒く書いてしまったんだけど、そういう部分が読みとれないような文章になってしまったのは反省。
玉垂葵さんの批判はごもっともで、今回いろいろな指摘受けたので、今後同じ話題を書く時はより精密にしたいと思うのだけど、「男性は議論とか争い好きねー」という発言や、本題の「女は男を批判できない」にこの考えは適用されないんでしょうか?
あと、ブックマークより。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050925/netbattle

2005年09月25日 otsune 『生理的な男女というよりは「脳の性差」の範疇の話だな。たとえば天羽助教授は男性脳としか思えないし。』

「脳の性差」(男性脳・女性脳)というのはどの程度研究されて信頼できるのか、興味はあるんだけど、調べてみてもいまいち不明だった。詳しい人がいたら、良さそうな資料の提示など教えてくれたら幸い。
今回の議論、自分がもともと本題とは違う部分に反応したら、本題とリンクされて反応されたり、逆に本題は見ないで反応されたりして、ああネットの議論って難しいな…と当たり前のことを思ってしまった。
本題と関係ないところに反応して、話題が広がるというのはポジティブでいいんだけど、こういう風に言及した話題と本題が密接に繋がっている場合、本題に対するスタンスもはっきりしておかないといけないと学習した。
指摘受けて考えるに、「動機の違い」というのは「議論」と「争い」を一緒にして書いているという問題点がある。動機の違いに関しては、他にしっかりした分析ができる人がいるのならぜひ読みたいところ。