最近、Facebookが話題になったけど、コミュニケーションを主体とした新しいウェブサービスが流行るたびに、サイコドクターで書かれた「銀河通信」の記事を読み直したくなる。
読冊日記 2003年 5月下旬
ウェブログはコミュニケーションを重視する。盛んに他人の記事を引用するし、たいがいコメントエリアがついている。明快で活発なコミュニケーション。実にわかりやすい。これぞ新時代のコミュニケーション! という印象だ。しかし、日本型のウェブ日記の世界には、かつてからもっと別種のコミュニケーションがあったのではないか。
それについては2001年6月15日や2001年9月7日にも書いたことがあるのだけれど、たとえばRead Me!や日記才人の一票のような、きわめて間接的で淡々としたコミュニケーション。日々誰に向けているのでもないテキストを淡々と書き、そしてどこかにそれを読んでくれる読み手がいる、ということに心を癒され、直接感想メールが来たりすると、かすかな苛立ちを感じずにはいられないような、そんな「コミュニケーション」。
それは、アメリカ人からすればコミュニケーションの名にすら値しないようなものなのかもしれないのだけど、「それはどこか宇宙の果ての知らない星からの長距離電話」(谷山浩子「銀河通信」)であり、「誰でもない他者」からの「あなたがここにいること」への承認のメッセージなのだ。だからこそ、誰が読んでいるかはわからないけれど、「もしもし見知らぬ私の友達 私はちゃんと歩いています」(同上)と日記を書くのである。細い、細い糸で結ばれたような儚いコミュニケーション。そもそもウェブ日記にとってもっとも重要だったのは、そうしたコミュニケーションだったように思うのである。
そしてまた、ウェブログに限らず最近のウェブの世界は光が明るくなりすぎて、沈黙、夜の闇といった、儚いコミュニケーションを受け入れる土壌が急速に失われているような気がする。真夜中ひとりで黙っていないと、銀河通信は届かない。
この記事が書かれた2003年5月とは、2002年のブログ騒動と呼ばれる事件で、日本のネットの世界にブログが知られるようになってから、1年ぐらい経った頃だ。まだまだブログに対して違和感を表明する人が多かった時期である。
振り返れば、日本においてブログはこの2002年に認知され、コメント機能やTrackBackなど、それまでのサイトでは考えられなかったコミュニケーション機能が新鮮なものとして受け止められた。2004年にはgoogleのorkutをきっかけに始まったSNSブームで、GREE、mixiと相次いで国産SNSが登場し、日記機能のおかげでmixiがどんどん成長した。そして、2007年にはTwitterがネットの世界では流行となり、2009年には一般のメディアでも取り上げられるぐらいの知名度となった。
こうして見ればわかるが、2,3年のスパンで新しいソーシャルサービスが盛りあがっており、Facebookはその流れといえるだろう。もちろん、Facebookは世界規模では定着しているのだが。
今では、ここで書かれているアメリカ型ウェブコミュニーションのスタイルに異議を唱える人はほぼいなくなった。もはやそれが当たり前で疑問に思うほうがおかしいぐらいの勢いだ。
Facebookが話題を集めた後、そもそもウェブでそんなにコミュニケーションをしたいの?という話題が出ていたが、これは2010年代の銀河通信だ。
今日の日記:島国大和のド畜生
■最近フェイスブックが
一応アカウント(否島国名義)とって放置してあるんだけど、そんなに日本でブレイクする気がしねぇ。
なんというか、そんなにネットで自己アピールしたりコミュニケーションしたりしたい人って多くないだろうという気がする。
結局webサービスってどんどんウスく浅く、繋がってないけど繋がってる気がしないでもないという方向に進化していて、それは人付き合いの面倒は避けたいが、孤独も嫌だという欲求に寄るものだと思う。
ニコニコ動画で弾幕に参加する程度のツナガリで十分なんじゃないか。
twitterでリツイートしたり、はてブで意見書いたり、会話のキャッチボールは無いが、一人じゃない感覚。
どうにもフェイスブックは濃密な繋がりが無い状態では面白さを感じにくい印象がある。
島国大和さんは、人付き合いの面倒は避けたいが、孤独も嫌だという欲求に注目する。
最近のインターネット - matakimika@d.hatena
再三書いてる気がするけど、インターネットの個人サイトまわりに返信義務を伴うコミュニケーション機能なんてものがあってしまうと困るだけだ。嫌がらせとしての忙殺攻撃が有効になってしまうし。掲示板に精力的に全レスする管理人がコンテンツ作る心的時間的余裕を失ってサイト閉鎖とか何度も見てきた。近年のソーシャル機能拡充により「コミュニケーションこそが本来」みたいなノリが強くなりすぎて、「いや別にコミュニケーションしたくてネットやってるわけじゃないんで」みたいな態度が異質なものとして扱われかねない場面も出てきている。困りものだ。
頁作さんは返信義務をともなうコミュニケーションによるサイト管理人の疲れを問題視。
ARTIFACT tumblr
面白かったので、tumblrでreblogしたら、244もreblogされ、かなり多くの人が関心を持ったのがうかがえる。
ネットは、見知らぬ誰かと直接にやりとりをして、人間関係が発展する醍醐味はあるが、直接のやりとりは衝突も起きやすい。
ネットでブログなどを見ているだけで、直接のやりとりはしてないけど、なんとなく親近感を持っている…みたいな人は結構いることだろう。喩えるなら、話したことはないけど、なんとなく親近感のあるクラスメイトだが、そういう人とやりとりすれば面白いかも知れないが、ただ見ているだけで満足している人も多い。
このような一方的な人間関係、人間関係というより「視線」といったほうがいいのだろうが、ブログが出てきた時、そのような視線を否定され、交流するのを強制されることに対する反発が「銀河通信」だった。
最近は、Twitterだと変な人に絡まれやすいので嫌だということを言う人をちらほら見かける。外部の人に読まれたくないのなら、プロテクトにすれば解決できる問題ではあるのだが、公開で使っていたアカウントを急にプロテクトにするのも嫌だろうし、プロテクトのサブアカを作るのはどうも…といったところだろう。
Facebookは公開制限を細かく設定できて、身内とのコミュニケーションに使うのには便利なんで、Twitterに疲れた人がFacebookに引きこもるという現象も起きると考えられる。
Facebookを使っている人が、Facebookには2007年ぐらいのTwitterみたいな雰囲気があると言っているのを見かけたことがあるが、これはFacebook固有の話ではなく、使っているユーザーがまだまだ少ない故にのどかな光景があるだけで、コミュニティ初期にはどこにでもいえる話だ。
ただ、ブログ(オープン)→mixi(クローズド)→Twitter(オープン)ときたので、反動としてクローズドに使えるFacebookのターンになったとはいえるだろう。
津田大介さんは、mixiはハマったけど、Twitterを使って、ネットはオープンであるべきだと思うようになったと語っている。
津田大介氏インタビュー 第1回:「インターネット黎明期の挫折、そしてTwitterへ」(全4回) | MAG! 学生を応援するフリーマガジン
今までのマスメディアにいた人以外がブログで情報発信することで「言論環境が変わるかな」って期待してた部分は大きかったですね。実際、一部のではそういう変化も起きたけど、社会が変わるって程のインパクトはなかった。
その中で2004年にSNSが出来てきて、ブログも炎上問題も起きるようになってきちゃった。このあたりは匿名で好き勝手できちゃうネット文化の悪い面に引きずられた格好ですね。インターネットがなんとなく殺伐としてきちゃったので、友達と知ってる人としか繋がらないクローズドな、グーグルの検索に引っかからない世界でネットワークを作ってもっと純度の高いコミュニケーションができるんじゃないかってのが、SNSの最初の出発点ですよね。
僕自身もSNSはハマッたんですけど、ツイッター使って「やっぱりネットは閉じてるんじゃなくて、オープンであるべきだ」と思うようになった。mixiは実名推奨でスタートしたのに、色んな事件とかあって、個人情報とかさらされたりとか、匿名の愉快犯たちの遊び場になっちゃった。
それを受けてmixi自体が「実名は危ないのでやめましょう」って方向に転換しちゃった。僕はあれは、「SNSの敗北」だと思っているんですよね。そんなこんなでずっとネットに対する閉塞感があった。
これからも、ネットでは、オープンなコミュニケーション最高!という流れと、いやいやコミュニケーションは限られた人とだけでいいよ、という反発がせめぎ合っていくに違いない。
実際にはオープンとクローズドがほどほどに使い分けられていくだろうが、オープンなコミュニケーション最高!な人はクローズドなコミュニケーションの重要性を理解して欲しいし、オープンさはいらないという人は、ネットには知らない人と繋がるダイナミズムがあるというのを理解して欲しい。
【加野瀬未友氏インタビュー】無数にあるネットツールをどう使いこなすべきか? :ソフトバンク ビジネス+IT
このインタビューは、最近のネットはオープンなコミュニケーションを前提にし過ぎているので、それへの反発として、クローズドなコミュニケーションが大事ですよと言いたかった。そして「ネットの人間関係は薄い」というのは、特にオープンなコミュニケーションの場でできたネットの人間関係というのは薄いというのを強調したかった。
あなたはネットのコミュニケーションに疲れてませんか?(シロクマさん風)