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最近はオーディオブログです

DENPAが従来のコスプレダンパ文化とどう違うのか誰か教えて欲しい

超ライトオタクの誕生 - 海ノ藻屑[↑B]

濱野  そういう状況があって、昨日、DENPA!!!というテクノウチさんもDJプレイしたクラブイベントがあったんですけど、そこではオタクもコスプレイヤーもクラバーも、トライブにかかわらずみんな神曲電波ソングを大熱唱するに至っている。彼らが一部で言われるところの第四世代オタクなのかな?

孫引きで反応するのもなんだけど、濱野智史さん(id:shamano)がDENPAすごいと言っているのだが、話だけ聞いていると、どうにもDENPAと従来のコスプレダンパ文化と違いがわからない。「パラパラ」が「ウマウマ」になっただけじゃないかと。
アニメとファッションとクラブが融合したイベント「DENPA(電刃)」:小鳥ピヨピヨ(a cheeping little bird)[↑B]
この記事で、DENPAの存在を知ったんだけど、この時から、その疑問はあり、ブクマコメントでも、誰か違いを教えて!と書いてみたのだが、反応はなかったので、こうして記事を書いてみた。
超ライトオタクは誕生していない。ぬるオタが歴史から抹消されている[↑B]
この記事に対して、反論があり、過去の事例が挙げられている。概ね納得するところなんだけど、自分でも気になっているところを書いてみる。
1990年代、ブロッコリーコスプレイヤーを対象にしたコスパというイベントを開催し、コスプレブームとともに盛り上がった。ブロッコリーがイベントをやめたあと、中心スタッフがコスチュームパラダイス(現コスパ)を始めた。
DENPA!すごい話って、こうしたコスプレダンパの歴史がちゃんと認識されていないから出てきている話な気がするんだよなあ。書籍でも見たことないし、ネット上では、Wikipediaがそこそこ詳しいというレベル。
コスプレダンスパーティー - Wikipedia[↑B]
と思っていたら、ぷらちなで素晴らしいインタビューがあった。
キャラを着て、街に出る。COSPAデザイナー和田洋介さんインタビュー<前編>[↑B]

多摩美術大学グラフィックデザイン学科で学んでいたんですけれど、学生のときは、勉強よりも遊ぶことに一生懸命でした。1〜2年生の頃は、週に3日は芝浦ゴールドで朝まで、みたいな感じにクラブ通いに夢中で。3年生になって、そろそろ次の刺激はないかと探していた時に、ちょうど『美少女戦士セーラームーン』が盛り上がっていたんです。しばらくアニメやマンガ的なものとは離れた生活を送っていましたが、久しぶりにビデオをレンタルしてみたらこれが面白くて、すっかりハマってしまって。

キャラを着て、街に出る。COSPAデザイナー和田洋介さんインタビュー<後編>[↑B]
こういう人がコスパを始めた訳で、DENPAが新しいムーブメントには思えなくて。規模が違うんだよ!という話だとするならば、コスパ以上に大きなビジネスが出てくるぐらいじゃないと、規模が大きいという話にならない。
あまり言われない話だけど、コスプレは話題になりやすいものの、オタク産業のなかでは、なかなか産業になりにくいものの一つで、雑誌でさえも、なかなか定着しない。だから、コスプレ方面からのアプローチではビジネスにしようというのは難しいと思うが。
※関連
オタク系クラブイベントの現状 - DIG@BOOKOFF[↑B]
オタク音楽イベントがつくる、特殊なコミュニティ - たまごまごごはん[↑B]
どちらも2007年の記事。

満州からの日本人引き揚げはアメリカのおかげ

NHKスペシャル|引き揚げはこうして実現した 〜旧満州・葫蘆(ころ) 島への道〜[↑B]
録画していたこの番組を見たけど、終戦直前の8月14日に、日本政府は海外の日本人居留民を帰国させずに現地に定着させるという電報を出していたのを知って驚いた。棄民するつもりだったとは…。
中国国民党蒋介石が、満州で勢力を伸ばす中国共産党に対抗するため、アメリカに兵力輸送の協力を希望するが、当初は中国の内乱にアメリカは加担するつもりはなかった。しかし、中国共産党の勢力がどんどん伸びていき、共産主義に対する危機感のあったアメリカは、輸送力を提供することを決定する。
アメリカは、戦車揚陸艦などの100隻ぐらいの輸送船を提供し、1日1万人の規模で日本人を帰国させる計画を立てる。こうして、上海から満州の葫蘆島へ国民党の兵士を輸送、満州から日本に日本人を輸送、日本から中国に日本にいた中国人を輸送というトライアングルができたそうだ。最後は朝鮮人の帰国では?という気もするんだけど、図では日本から中国になっていた。
葫蘆(コロ)島からの引揚げ[↑B]
この番組を見て書かれたと思われる記事では、朝鮮人の帰国としている。
朝鮮人送還事業では、帰国希望者が減少したあとも、日本側は帰国させたがっていたというのが興味深い。のちの北朝鮮帰国事業で、日本政府が在日朝鮮人を帰国させたがった事情に繋がるなあ。移民政策とともに、日本政府はとにかく人口を減らしたがっていたというのがよくわかる話だ。
引き揚げ話は、日本の輸送艦や商船などに乗って…みたいな話ばかりだったので、普通に日本政府が引き揚げを担当していたと思っていたけど、満州に関しては日本ではなく、アメリカの事業だったとは。もし、朝鮮戦争がもっと早く勃発していたら、引き揚げの輸送に割く艦船がなかっただろうから、引き揚げできなかったのかも知れない。
その時歴史が動いた[↑B]
ちょうど去年の12月の「その時歴史が動いた」でも取り上げていたみたい。
nozawa22: 戦後満州引き揚げ 故郷への道[↑B]
引き揚げ者の女性の中には望まぬ妊娠をしていた人が多かったので、大規模に堕胎手術が集団で行われていたのか…。