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最近はオーディオブログです

「好きな子」がいないのは正しい−白馬の王女様−

徒然庵日記 -  百合色の夢
http://d.hatena.ne.jp/chunyan/20050707/1120755365

そこで出来るのは、自分を好きになってくれる白馬の王女様を待つ事だけです。

そういえば、自分のまわりでも「白馬の王女様」というフレーズが流行ったのを思い出し、他に使っている人がいないか探してみる。
【N.C.P.】Vol.22『「ガンダム」という名の、閉ざされた戦後。』
http://www.ann.hi-ho.ne.jp/cuteplus/ncp/cpg22.html
更科さん。
void GraphicWizardsLair( void ); // 「白馬の王女様からの突っ込みを待つために日記を書いている人たち。」
http://www.otsune.com/diary/2003/04/24/2.html#200304242
オオツネさん。
99年10月の風虎日記 白馬の王女は死に神ですから
http://www.mars.dti.ne.jp/~rms/kaze39.htm#hakuba
みのうらさん。

 そう言えば、私がまだ学生だった頃、私にしては積極的に動いていたとき、「あと半年早く言ってくれればよかったのに」という言葉を聞いたことがあった。もし好きだったのならどうしてそっちから「も」動かないのだろう。どうして好きな人に対して動こうとしないのだろう。そして、好きな人が動いてきてくれないからといって、他の動いてきた人の中から選ぶことしかしないのだろう。どうして動くのはいつも男の側ばかりなのだろう。
 女がもっと動くようになって、男がもっと動かなくても済むようになれば、あるいは「自由恋愛」方式でもそれなりに恋愛不平等は是正されるのかも知れない。しかし、そんな世の中になるまで私は指をくわえて老化しつつ 待っている訳にもいかない。なかなか深刻な問題だ。

 強調は当方。さてここにあげられている「なぜ」の答えを、たぶん自分は持っている。そりゃ自分から告白するほど好きじゃなかったからだよ。それだけ。
 問題は、この人が「好き」にはさまざまなレベルがあるのを理解してないとこじゃないだろか。「こちらから挨拶する程度には好き」「二人でいてもイヤじゃない程度に好き」「食事に行くくらいは好き」「デートに行くくらいは好き」「告白されたらつきあってもいい程度には好き」「こっちから告白して手に入れないとたまらんくらい好き」ざっと上げただけでもこれくらい。そう、好きには程度があります。
 「どうして動くのはいつも男の側ばかりなのだろう」ってのは間違いですよ。ほんとに手に入れたかったら、女の方からだって手を出しますって。この考え方で「恋愛不平等」とか言われるとさー、恋愛共産主義? とか思っちゃうよ? あ、偶然このひとがそういうタイプが好きなのかもしれないが。 共産主義社会主義でもいいや)の神よ、すべての男に白馬の王女様を与えたまえ!

もてない男』での記述に対する反応なのだが、大変わかりやすい。というか、このぐらいわかりやすい(当たり前ともいう)説明がないのが不幸なのかもしれない。“男オタクの脳内の女フォルダは「他人」「親族」「彼女」しかない ”から!(http://d.hatena.ne.jp/kanose/20041210/folder
http://www.mars.dti.ne.jp/~rms/kaze31.htm#990213

 書き忘れてたけど、柳瀬っちが白馬の王女様待望論者であることが判明。このサラダデイズ愛好家がっ! 「どこかにボクのことを好きな女の子が……」とか「ずっと気になってた彼女も、実はボクのことを……」なんて世界幻獣辞典並の脳髄からはさっさと自由になるべきです。年齢を聞いたら体重を答えるようなマイトガイが、体脂肪に不自由しないあび子っちと同じ思考回路だったなんて……この白泉男児!<全然罵倒になってません。肯定されます。さっさとフェイス&ベシャリ&人格がユニークな女子とラヴラヴになってください。彼女の一人称は「ボク」以外認めません。あ、アニメかゲームか漫画のキャラ名は可とします。

今読むと個人的事情としてオモシロ過ぎる。「白泉男児」も当時流行った言葉だった。
http://tenkyoin2.hp.infoseek.co.jp/ach0207.html#07291
転叫院さん。社会的価値を示す「王女様」という表現を使うのに違和感を憶えるそうだ。この文脈での「王女様」ってのは、社会的地位ではなく、個対個の関係で王子様、王女様に見えるという意味だと思うけど。
I N T R O+blog: 「電車男」評/ヲタク青年は白馬の王女様の夢を見るか?
http://introweb.sakura.ne.jp/blog/archives/2005/06/post_293.html
知っている人以外で使っている人を発見。『電車男』は昔の少女漫画の逆だという指摘をベースに展開しているのだけど、なかなか面白かった。これはそうなんだろうなあ。
恋愛できない男たち
http://www.daiwashobo.co.jp/2002/10/hayami-2.html
書籍の目次なんだけど『白馬の王女様を待つ「妻男」クンをゲットせよ 』という項目がある。

恋愛できない男たち

恋愛できない男たち

速水由紀子氏の本だったのか(笑)。
で、ネット上にはもうないのだけど、自分のまわりでこの言葉が流行ったきっかけはあび子あび夫先生が無印ピュアガール1998年10月号で書いたコラム。このコラムをもらって読んだ時、ヒザポンしたものだった。このコラムは今でも重要な指摘をしていると思うので掲載。

「お・と・こ・ご・こ・ろ」−1998年10月
第7回 「好きな子」がいないのは正しい

 「お前の好きな子って、誰なの?」と友人に聞かれて、気まずい思いをした経験はないか? もちろん、実はその友人がホモで、「いないけど……」とコッチが言おうものなら、速攻で告白食らわされそう、みたいな異常な条件下での話ではない。修学旅行の夜とか、男だけの飲み会で女の話になって、自分だけ黙り込んでしまう…、そんな経験あるでしょ?
 これはボク自身に問題があるからかもしれないが、そもそも「オタクの会話」には、随分と「ホレたハレた」の話題が少ない。これは、「オタクは3次元の女に興味がない」とか、「ハナっから諦めてる」とか、「ホモだから」と説明するのが一般常識になっている。だが、「確かにそうかもしれないけど、もっと重要な『原因』があるのでは?」と主張するのが今回のテーマ。
 では『原因』は何か? 表面上の原因は「好きな女の子がいない」コト。これは「一般常識」にも合致する。しかし、「やっぱり3次元の女には興味がない」のではない。ボクらは「ホレにくい」タチというか、「自分にホレる女」が好みなのだ。そう、「自分にホレた女にホレる」。コレが基本。そうと違う? だから「好きなコ」が出来にくい。
 原因は、残念ながらネガティブなモノだ。ボクらは、基本的に自己愛が強い。別のコトバで言えば、極めて自己中心的。全ての基準が自分中心で、自分を凄く大事にするので、「自分に対する好意」にものすごく「惹かれる」のだ(もちろんコレは、ボクの主観と経験(…)だが)。
 オタク恋愛に多い「向こうが自分に好意を持っている」という勘違いが、「痛く」なりやすいのも、ココに根がある(と、ボクは思う)。
 「まさか」、と思うかもしれないが、そこら辺を一番理解しているのは、「ギャルゲー」、「ギャルマンガ」の作り手だろう。恋愛シミュレーションは、「告白される」システムが圧倒的だ(まあ、ゲーム途中で告白してフラれ「失意に満ちた残りの高校生活を送る」ゲームはありえないとは思うが)。また、ボク達が好きなマンガを思い浮かべて欲しい。古典的なモノでは「侵略してきた宇宙人が自分にホレる」トコロから始まるマンガや、「女の神様が突然やってきて、何やら自分に好意を…」、「パソコンのモニタから(以下同文)」、「し、小学校に『エイリアン対策係』が出来て!」(違う!)など、そんなマンガが、ヤケに多いハズだ。
 少女マンガの典型「白馬の王子様」でさえ、「主人公が王子にホレる」トコロから始まると言うのに、ボク達の場合は、王子が主人公にホレなければ、物語すら始まらないのだ。
 「違う!」と言う人の方が多いかもしれない。でも、もし「好きなコができない」と悩んでいる人がいたら、きっとそれが僕らの本質。そう、好きな子がいないのは正しいのだ!

この論を意識している訳ではないだろうが、『電波男』では、好きだからといって相手にアプローチしても、キモメンだから拒否されるんだよ! 同じことをやってもイケメンなら許されるのに!という防衛理論がある。あと、本田理論でこの話題と一番リンクするのは「男オタクは乙女回路を持っている論」だろう。その結果こんな人も出てきた!
にじ魂 僕は透に恋してる
http://blog.livedoor.jp/belog/archives/25804029.html

]『おたくの本』補足

ARTIFACT@ハテナ系 - 故富沢雅彦氏の言説
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050715/tomizawa
に絡んで、別冊宝島おたくの本』における、似た記述の報告があったのでちょっと紹介。

:planet-ape|blog: 「傷付ける性」としての男性、そして少女化

http://www.planet-ape.net/archives/2005/07/post_153.html
ロリコン、二次コン、人形愛 架空の美少女に託された共同幻想」という記事でもりやねこ氏が「レズが多いのは、男を描きたくないから」「描く時は自分を女の子だと思って描いているから、女の子を描け込めればそれで満足なんです」と発言している。
関連して興味深いのが、もりや氏は童貞であったほうがエロ漫画のイマジネーションはできないと考えていたが、実際に経験したあと、「実際のセックスなんてどこが面白いのって感じ。相手を楽しませることなんて面倒くさいことやっていられない」という考えに変わったと言っていること。
余談だが、もりやねこ氏の最近の活動を知らなかったので調べてみたら、劇画っぽい絵になっていて驚いた。
http://www.kuboama.com/kubobooks/kubo/moriya.html
しかし、このインタビューで劇画のような絵柄を目指したいといっていたので、初心貫徹なのだろう。
know your shame. なぜか補足
http://d.hatena.ne.jp/narima74/20050716#p1
上野千鶴子氏のインタビュー発言でも関連した話が出てくる。

上野 (前略)少女って「使用禁止のボディを持った女の子」のことでしょ。ここにあるのはみんなかわいい女の子の絵ばかりで、成熟したセクシーな女っていうのはひとつもないでしょ。この「かわいい」っていうのがキーワードなのよね。これを描いてる男の子も、きっと「かわいい」少女の世界にいたいのね。彼らは男であるということをもて余してしまってる。もっと言うと、「男になんかなりたくない」と思ってるんじゃないかな。(後略)

ラブラブドキュンパックリコ - フェミニストにとって“おたく”とはどのような存在なのか?
http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20050316/1110991807
今回の件とは違うけど、上野千鶴子氏のインタビューについて触れられているのでリンク。

:planet-ape|blog: 「傷付ける性」としての男性、そして少女化

http://www.planet-ape.net/archives/2005/07/post_153.html

ただねえ、それこそササキバラ・ゴウ氏やら更科修一郎氏やらの文章を読んでると「なるほど、おたくのセクシャリティとはそーいうものかー」とか納得したりもするんだけど、それってオナニーした後の罪悪感だとか空しさだとかのわき出してくるダークフォース(←流行ものw)をどーにか誤摩化すための詭弁じゃねえの?とも思ったりすんだよ。

ササキバラ・ゴウ氏や更科修一郎氏は、そのダークフォースの部分を見ようとしない言説に対する異議申し立てをやっているのだと思ってた。下品にいえば「俺たちは何にチンコ立てているのかよく見ようぜ!」みたいな。
あと更科論を理解するキーワードとして「ヘタレマッチョ」を挙げておこう。
http://d.hatena.ne.jp/cuteplus/20050319/p1

非体育会系のくせに、頭の中で完璧な理論を立てればマッチョを気取れると思っている男の子たち。

「ヘタレマッチョ」解説は今のところ『美少女ゲームの臨界点』が一番詳しいようだ。

毎月何本ものエロゲを消費している姿なんて、喉が渇いているのに海水を一生懸命飲んで喉を潤そうとしてるようにしか見えないんだよなあ。
ぬるくてカルキ臭くても「生水」飲めよ!とか言いたくなっちゃう。

この喩えに笑った。

ついでに参考資料を。chuyanさんが書いたのと同じだけど。『美少女ゲームの臨界点』はエロゲー関係の知識がないと理解しにくい書籍なので、上級者向けということで。
http://d.hatena.ne.jp/chunyan/20050715/1121461410

「美少女」の現代史 (講談社現代新書)

「美少女」の現代史 (講談社現代新書)

ササキバラゴウ氏の歴史に重点を置いた基本論考。新書であるから、かなりわかりやすく書かれている。そのため、物足りない人もいるかも。
新現実 Vol.2 (カドカワムック (178))

新現実 Vol.2 (カドカワムック (178))

これに掲載されている「傷付ける性 団塊の世代からおたく世代へ −ギャルゲー的セクシャリティの起源」は『〈美少女〉の現代史』の前に書かれたもの。こちらは新書と違い、かなり多岐に渡った話をしており、読み応えあり。ここではあまり触れなかったけど、ショタ関係はこの“「傷付ける性」としての男性”から逃げる動きが一番エッジに出たものといえる。この書籍では永山薫氏がショタに関しての考察をしている。

童貞ミュージック

ARTIFACT@ハテナ系 - オタクを引きつける因子を持った旋律
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050622/otamusic
という話題で盛り上がったけど、それに関してもっと剛速球なネーミングが(笑)。
飛井類司のうんちおっぱいちんこカレーハンバーグ、おまんじゅう - 童貞たちの音楽
http://d.hatena.ne.jp/toby-luigi/20050715

この世にはプロジェクトA子みたいなアニメだけが存在すればアトは何も要らない!!なんて考えてたんだけど、周りのオタク友達たちが何を色気憑いたのか、谷山浩子だとかそーゆー音楽を聴き出し始めちゃったモンだからココロに揺らぎが。で「いつまでも漫画やアニメだけじゃないでしょ」って顔までされちゃったもんだからアセっちゃって、聴かなきゃ聴かなきゃで聴きはじめたのが種ともこ。ぎゃー。でもきっかけは海ナウシカこと「サンゴ礁伝説 青い海のエルフィ」。

宮崎駿氏の「セーラー服着て機関銃撃つようなアニメばかり作ってちゃダメなんです!」という発言に怒ったり。種ともこは聞いてたけど、『サンゴ礁伝説 青い海のエルフィ』の主題歌やっていたの忘れていたよ…。どの曲だろうと思って調べたら「Mermaid In Blue」だった。色気づいて谷山浩子ってのが泣ける。
ついでに飛井類司氏のステキコメントを引用。
飛井類司のうんちおっぱいちんこカレーハンバーグ、おまんじゅう - BSアニメ夜話
http://d.hatena.ne.jp/toby-luigi/20050701

コナンもカリ城も大変良く出来てるけど、マクロスとかと同じ童貞アニメですね。最近の宮崎アニメはチンポコにフォースが行き渡らなくなったからあんま面白くないんですね。

自転車に乗るようになって童貞毒が抜けると作るアニメが面白くなくなるって国分寺に住んでいるモヒカン族が言っていたのを思い出す。