死に舞 - センス競争は悪か?
http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20060304/p2
基本的にあらゆる文化の価値観は人を馬鹿にすることでなりたっていると自分は思ってる。
死に舞さんの記事を読んで、そういえば去年死に舞さんの記事に触れようと書きかけの文章があったのを思い出したのでサルベージ。
死に舞 - 鰻ナウ! 中二病、高ニ病へのレクイエム1
http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20050419#p1
まあなんにしろ全体にいえるのは、文化を感性的な側面以外で評価する、つまり文脈的な差異などを強調して評価する態度を「病」と括ることで脱臼させているのだ。そしてそこにあるのは結局、素朴で「無難な」、「(漫画でもアニメでもハリウッドでも洋楽でもJ−POPもアニソンでもフランス映画でも文学でもライトノベルでも、その形式的な差異はともかく)内容が良いものが良い」という美学であろう。
すごく綺麗に整理されていて納得。
死に舞 - 鰻ナウ! 中二病、高ニ病へのレクイエム2
http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20050423#p2
なんか高度な話に。再度読んだんけどよく理解できなかった…。
死に舞さんの話を読んで、整理されたんだけど、自分は「内容が良いものが良い」ではなく「それが好き」であることに自信を持とうよという人間なんだというのがわかった。その「好き」に社会的な評価(これが死に舞さんの文章中に出てくる「良い」とか「素晴らしい」だと思った)が加わらなくても、別にいいじゃんと。
ただ、好きなら好きでいいじゃん、評価なんか必要ないよ?と開き直って、タコツボ化してしまっても、文化としてはつまらない。「文脈」的な差異を読めないというのは、それはそれで退屈だし、文化的に貧しい。「文化」とは「差異ゲーム」であるからルールである文脈を知っておいて欲しい。でも、それは最終的にはゲーム(価値観の競争)であって、それが人の全てであるかのように思うのはアホらしいよ、ってところだろうか。
ARTIFACT ―人工事実― : この時絶滅させておけばよかった「村上隆」のガイドライン
http://artifact-jp.com/mt/archives/200402/murakami.html
渡部直己氏が『五分後の世界』の解説で、「違う文化への無根拠な差別が、文化を活性化させる」(ちょっとうろ覚え)と書いていたと思うんですが、みんなで「これが好き」「あれが嫌い」と勝手に言い合う方が、活性化されるんでしょうけどね。
この渡部直己氏による解説は非常に印象に残っていて、今もよく言うネタになっている。
この場合の「差別」は、社会的な差別ではなく、優越感や侮蔑と考えたほうがいいだろう。死に舞さんの言葉でいえば「馬鹿にする」だ。問題視されるべき差別というのは、生まれなどのような「本人が選べないもの」であり、文化というのは選べる。
だから、極論をいえば、文化に関しては、不毛だけど悪口合戦をやってもいいと思っている。根拠がなくても、ああそうか!とついうなずいちゃうような悪口を言った勝ち。そういう悪口を「偏見」というんだけど。その程度で淘汰されちゃうような文化ならそれまで。この辺りは、小説トリッパーのライトノベル特集号での大塚英志氏と斎藤環氏の対談に刺激を受けた。
ただ、困るのは、その「偏見」が表現規制などの社会的な動きになりやすいところなんだけど…。
そういう判断基準があったので、出身地のような「本人が選べないもの」に関して、言及することは避けていた。そんなところで気になったのが、Comic 新現実4号の大塚英志氏と香山リカ氏の弟の対談。
- 作者: 大塚英志
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2005/04/26
- メディア: コミック
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この対談では、おたくと新人類について語っているんだけど、大塚英志氏が80年代において、おたく*1というのは、練馬などの東京周辺地域出身で、新人類は地方出身者が多かったという見解を出していた。そこでは、おたくは家で洋服が用意されるから、わざわざ新人類のように服を買う必要なんてなかったとか、おかん服に対する開き直り肯定があったりして、それはそれでおかしいんだけど、それは本筋ではないので戻って。
この話は、80年代に地方で活動をしていたオタク、たとえば唐沢俊一氏のように札幌で『宇宙戦艦ヤマト』のファン活動をしていた人たちを、いきなりないことにしてしまっている傲慢な認識だ。そして、この対談を読んで、つくづく感じたのは、結局オタク(おたく)と新人類というのは、首都圏の進学校出身者の文化的差異ゲームであって、それがたまたまマスメディア上に出ていたから、すごく大きな問題に見え、そんなメディアを一身に受容していた人たち(この場合は香山リカ氏の弟。北海道出身)によって認識された対立なんだなあと。そして、どうもこの対立というのは今も続いているのではないかという気がしている。
文化人の出身地、そして通った学校(特に高校)でわけていくと、おそらく一定の傾向は出てくるだろう。でも、文化的差異ゲームの話に出身地を入れてしまうと、それは本当に「差別」であって、それを一般化しようとするのは暴力だろうと考えるから、わざわざ主張する気はない。
とはいえ、過去に自分もそうした出身地話的なことを話題にしたことはあって、Gree NIGHT批判の時に出た「田舎臭い優等生」に感情的に反応してみたことがある。
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20040914#countrysmell
この時の「田舎臭い」というのはあくまで形容詞であり、本当の出身地ではないし、これは相手がcharlieさんという面識のある人だったし、もともとのその部分の反応に関しては感情的なものだから、こちらも感情的なものの方が面白いかなと思って書いてみた。