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「東京大空襲」を「東京大虐殺」と呼ぶ

九十九式: [jiji] 東京大虐殺
http://type99.net/2005/03/jiji.html
きぐつのつぶやき(仮):東京大虐殺60年
http://blog.livedoor.jp/kigz2640/archives/16117452.html
.Nat Zone - .Nat Zone?p=216 : 東京大虐殺から60年
http://www.sakimura.org/modules/wordpress/index.php?p=216
この論理でいけば、広島や長崎の原爆投下も「広島大虐殺」や「長崎大虐殺」だよなあ。都市空襲のように民間人が一度に大量に殺された戦闘というのは、確かにひどいと思う。
しかし、ちょっと考えてしまうのは、第二次世界大戦の日本においては、都市空襲がなされなかったら、おそらく大本営は戦争を止める決意をせずに米軍は上陸作戦を実行したであろうということ。いわゆる本土決戦だ。アメリカからすると、原爆投下というのは、これによってアメリカ軍人の死者が減った意義ある作戦と評する人たちがいて、原爆の展示などでしばしば物議を醸すけど、これは日本側にもいえるのではないか。上陸戦なら一度の戦闘では10万人は死なないだろうか、累計で都市空襲による死者数を超える可能性は非常に大きい。一つの戦闘として見れば、人道的に許されない軍事作戦なのだが、歴史の大きな流れでみて、それによって救われた人たちも多いのだろうと考え始めると、空襲や原爆の評価が難しくなる。
この前(http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050210#hata)書いた東条英機の「敗戦責任」にも繋がるんだけど、日本が戦争を始めてしまったことは当時の状況からみてしょうがない面などもあったというのがある程度知識として共有されてきただろうから、開戦責任を話しても議論はループするだけだろう。だから、まともな補給をせずに餓死による戦死者を大量に出したりしたような、戦争をするにしても、被害を押さえることができなかったことのほうが今後考えるべき問題なんだと思う。
アメリカが人道的に許されない軍事作戦を実行したことは当然批判すべきなんだけど、当時の日本はそんな圧倒的な軍事力の差を見せられても、まだ戦争を止めようとしなかった。そういう判断のできない国だったんだから。
補足:「東京大虐殺」という呼び方自体への考えを書かなかったけど、アメリカに民間人を虐殺されたという記憶は当然忘れるべきではないから、考えとしては面白いと思う。ただし、国際的に言い換えを主張したりしたりするのはどうだろう。ちょっと考えもの。ふと思ったけど、当時の国際法から考えても戦争犯罪なんだから、民間法廷やってみるってのはどうなんだろうか。従軍慰安婦の逆で。
東京大虐殺」で検索して見つけた興味深い記事。
BigBan: 「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2005/01/post_6.html
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2005/01/post_12.html
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2005/01/post_13.html
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2005/03/60.html