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最近はオーディオブログです

「おたく」と「オタク」

大塚英志のおたく社会時評 第十回 岡田斗司夫について
http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW0.8/column1.html

平仮名の「おたく」と片仮名の「オタク」についての論争なら、当然大塚英志氏を忘れちゃいけないよね、ということで発掘。1998年の話題。
平仮名おたくを主張する大塚英志氏に、片仮名オタクとして批判された岡田斗司夫氏が、この時期になって平仮名おたく的概念を持ち出してくるのは興味深い。

ところでおたく、OTAKU? - www.jarchve.org
http://www.jarchive.org/text/otaku.html

あと、ばるぼらさんによる整理も。

共同体としてのオタクの過去の議論

戦闘美少女の精神分析』をめぐる網状書評
http://www.hirokiazuma.com/project/ml-reviews/sentoindex.html

岡田斗司夫氏の「オタク is dead」絡みで竹熊健太郎氏の発言をちょっと発掘。2000年の話題。

タイトル:東−斎藤はなぜ噛みあわないのか?/「おたく」定義の混乱
http://www.hirokiazuma.com/project/ml-reviews/sento5.html
斎藤さんは「おたく」を定義づけることの困難を承知しつつも、「おたく的なるもの」そして「共同体としてのおたく」が実在することは疑いえないとして、それを自明の前提として『戦闘美少女』を執筆されている。他方、東さんは、宮台論文を引用しながら「共同体としてのおたく」はかつて存在したが、それは90年代に入って事実上消滅したのであり、現在メディアに流通しているそれは「オタクという幻想を共有する集団」に過ぎないのだとするわけですね。

タイトル: 「オタク密教」についての補足
http://www.hirokiazuma.com/project/ml-reviews/sento7.html
宮台氏が「コミュニケーションの進化史」(『制服少女たちの選択』所収)で行なった分類を借りれば、両者はともに「頭のいいニヒリスト」に相当するのでしょう。最初に「頭のいいニヒリスト」という人格システムの類型があり、これが80年代に「オタク・エリート」と「(マスコミ的な)新人類」に分かれた。80年代は資本の要請(たとえば西武資本)によって「新人類」組が優勢であったが、90年代にはこれが逆転し、オタクエリート(という名の新人類)がマスコミに浮上する。いわばサブカル・エリート間における「勝ち組」と「負け組」の勢力逆転劇があったのだ、というのが僕の見方です(ちなみにここで僕がいう「新人類」は、宮台論文での新人類の定義とは少し違いますが、今は横に措いておきます)。

僕があちこちで「90年代なんて存在しなかった」と言っているのは、こういう意味からです。すくなくともマスコミ的な表層を見る限り、90年代は80年代の延長なのであって、つねにそこでサブカルチャー領域のリーダー・シップをとっていたのは「80年代の新人類」だったのです。いわゆる「オタク・サブカル分割」というのは、僕の記憶では岡田斗司夫氏が96年頃に言い出した言葉ですが、これはきわめて党派的な言説でありまして、いうなれば中核派のボス(オタクエリート)が革マル(新人類=サブカル)を指して「あんなのは革命じゃない」と言っているようなものです。

制服少女たちの選択

制服少女たちの選択

宮台真司氏のこの書籍でのオタクと新人類話がかなり的確らしい。

時間差から見る陰謀論

話題になっているvip系まとめブログの管理人の座談会が掲載されたネットランナー12月号は去年11月頭に発売されたものであり、話題になるのなら、その時だろうになぜか半年も経って話題になっているのが気になる。
http://www.sbcr.jp/netrunner/magazine/detail.asp?magid=1531
また、オタ女の人の時の騒動は2月だった。この時にも、このネットランナーの記事は火種として投入されることはなかった。
この大きな時間差から、あのネットランナーの記事を利用できると考えていた人がいて、慎重に投入する時期を見極めていたのではないかと想像できる。今回の件は、ニャー速。などの今の大手ブログがなくなれば、後からまとめサイトを始めても新参で成り上がれると考えている人間の陰謀なんだ!と電波を飛ばしてみる。
まあ、電波はともかく、なんでネットランナーの記事に関しては、こんなに時間差あるのかは不思議。誰か教えて欲しい。

一画面以上の文章は長文という認識

九尾のネコ鞭 - VIP系まとめサイトよりも悪質なサイトを見つけたぞ!!
http://d.hatena.ne.jp/maroyakasa/20060528#p1

タイミングよくネタ記事を投入するmaroyakasaさんに感動していたのだが、コメント欄も合わせて完成度が上がっている。この長さで「長文熱弁」って!

小川彌生氏の『Zガンダム』作画話が気になる

講談社が11月に創刊予定の雑誌「Beth」(http://bethnet.jp/pc/)は女性向けでキレイ系オタクというジャンルを提唱していて興味深いのだが、そのサイトにある『きみはペット』の小川彌生(やよい)氏のインタビューで気になる発言が。

インタビュー - Beth comic × my favourite 第一回 小川彌生さん(漫画家)
http://bethnet.jp/pc/interview/
小川 自分がそのカテゴリーに入るかどうかはともかくとして、一般人とオタクの二つに分けた時、自分自身がどちらにも入れないんですよ。どっぷりとオタクの世界に入っちゃうと居心地が悪い。だけど普通の女の子の中に入っていると浮いてしまう。子供の頃からそういった肩身の狭い思いをしてきたので、そういう人のためのジャンルが欲しいと思っていました。私と同じように感じている人ってたくさんいると思うんですよね。彼女達の受け皿になる雑誌になってくれるといいなぁ、と思います。

「キレイ系オタク」という単語を考えるのは、この辺りがキーポイントだと思うのだが、気になったのはここではない。

小川 えっと漫画は最初にはまったのが『銀河鉄道999』です。小学生の頃は萩尾望都さんが好きでした。中学生の頃は『エロイカより愛をこめて』が好きでしたね。アニメに関してはけっこう遅くって「ファーストガンダム」の世代なんですけどその当時はあまり興味がなくって、その後の『超時空要塞マクロス』(注1)のほうではまりました。特に平野俊貴さん(注2)が作画の回が好きでした。

ふむふむ、作画オタクな女性とは珍しい…とか思っていたら、

小川 でも見ていたら作画の違いはわかりますよね(笑)。最近『機動戦士Ζガンダム』をDVDで見直していたんですけど、誰が描いているのかすぐにわかりましたよ。特に永野護(注3)さんの描いた百式は一発です。キャラクターは北爪宏幸さん(注4)が描いている時が一番かっこいいですね。

ええ! 永野護氏が『Zガンダム』作品中で百式を作画してたっけ? 永野護氏はあくまで百式のオリジナルデザインをしただけでは。*1Zガンダム』のメカ作画は内田順久氏、仲盛文氏、佐野浩敏氏、松尾慎氏といったメンバーだしなあ。
ゲームで『クーロンズ・ゲート』好きといっていたけど、街歩き系が好きならぜひ海外ゲームをプレイして欲しいところ。

*1:クリンナップは藤田一巳氏

WiiはPC-98となるのかはたまた…

9bc - d.hatena - フォルツァとムーアと白昼夢
http://d.hatena.ne.jp/Geemoku/20060519/p2
それでも殴り込みをかけようと言うのなら、携帯電話やプロバイダ事業のように、無茶苦茶な安売りや販売店へのキックバックで強引にユーザーを囲い込むしかない。そこまでやるのはどうかと思うのなら、いっそ日本だけ放置して、素直に欧米を押さえるのに力を注いだ方が早いだろう。日本から学ぼうとか何かを得ようなんて考える必要すらない。世界で一定のシェアを得て有り余るほど体力を付けてから、最後に孤立した日本を侵略すればいい。そうすれば長らく閉じた市場でしか商品を作ってこなかった日本企業はもう対抗できない。時間さえかければ自分が一強皆弱の一強になって搾取できる。いや、搾取どころか、むしろ日本人はアメリカ人以上に喜んで、一強であるアメリカ企業に従うだろう。映画もコーラもOSもビデオゲームも一緒だ。

それでどんな未来がやってくるかというと、しばらくは国産のショボいゲームしか遊べず、それからある時点を境に、大味な洋ゲーしか遊べなくなるという……えー、そんなぁ。どっちもそれなりに遊べる未来はないのかよ。だけど、それが日本の消費者による選択の結果に他ならなかった……

最近、日本のゲーム業界はかつての黄金期の日本映画のようになるんではないだろうかと考えることがある。