ARTIFACT@はてブロ

最近はオーディオブログです

「東京ブロガー」続き−地方と東京とネットー

断片部 - memo::laiso
http://fragments.g.hatena.ne.jp/laiso/20051105#1131182409
にて浅葉玲草さんに「東京(の)ブロガー」を略したなんです、というミもフタもない元ネタばらしがあったけど、気にせず追っかけてみる。
東京ブロガーというか東京人  〜 非モテと禅問答 〜
http://plaza.rakuten.co.jp/catfrog/diary/200511050001/

僕の中の東京人のイメージって「両親(もしくは祖父母の代)から23区内生まれの人達」。いわゆる江戸っ子という定義に近いのかな。物凄く田舎者な発想で笑われそうだけど、まあそんな感じ。

catfrogさんの見解。23区がポイントなんだろうか。自分のところは祖父母の代からの東京生まれの江戸っ子ではないけど、両親が23区東京生まれだった。
コメント欄の犬山さんの見解。

ここだけの話、 犬山秋彦さん
東京ブロガー、具体的にid表記で列挙するなら僕のイメージではid:gotanda6id:kanoseid:otokinokiid:catfrogって感じなんですけど……

でもid:laisoくんの定義だと明らかに僕も入ってるんですけどね。でも彼も引っ越してきたから明らかに東京ブロガー

オタクはかつて自分で自分をオタとは呼ばなかったのに最近は自称するじゃないですか。でもサブカルはあんまり自称することはない。オタクにサブカル扱いされるばかり。だから東京ブロガーってサブカルみたいなもので、第三者から名指しされる偏見みたいなものだと思います。(2005.11.05 16:31:10)

Re[1]:ここだけの話、(11/05) 犬山秋彦さん
はてな界隈で好奇のまなざしで見られてて、なおかつ東京に住んでてリアルで会う機会がありそうな感じですかね。id:otsuneさんやid:screammachineさんあたりも入るのかなあ。非モテOFFがやっぱり分かれ目だと思うんですけど。
laisoくんがネタ元にした僕のエントリだと、東京は田舎者の街みたいなことが書いてあるからcatfrogさんも充分に東京ブロガーですよ。むしろ真性。(2005.11.05 17:54:32)

※オオツネさんの敬称抜けはミスだったそうなので追記
自分のところの犬山さんのコメント。

# 犬山秋彦 『ネタ的に面白がって非モテOFFに参加した人たちがまさに東京ブロガーだと思うんですけど…』

自分の中にもかなり非モテマインドはあるので参加したんですが、それでもダメでしょうか…。
ARTIFACT@ハテナ系 - 飲み会で「つまらないの?」と聞くのはやめてほしい
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20051014/tsumaranai
これは非モテマインドばりばりだから批判されたと思っていたのに!
断片部 - memo::laiso
http://fragments.g.hatena.ne.jp/laiso/20051105#1131200392

今現在の意味としては、「東京に住んでいて、尚かつネットワーカーとしてある程度の認知度があるのと、ネット発イベントに気軽に顔を出せてしまうような社交性とリアルとネットの兼ね合いを保てている人」みたいなかんじ?

犬山さんのコメントを意識してのまとめ。
直接的言及ではないんだけど、id:umetenさんが気に入ったらしく、この言葉を使っている。
こころ世代のテンノーゲーム - 「脱オタ前」:「脱オタ後」〜天満唯さんへのコメント2〜
http://d.hatena.ne.jp/umeten/20051105/p3

さらに付けたしをするなら、
関東圏にしかないような「丸井的」なる概念を出されても、はっきり言って意味のない地域に住んでいるものからすれば、
そのような自らの住まう地域のもつ優位性への自覚の欠如こそが「東京ブロガー」的なるもの
であると指摘できるのではないかとも思います。

その前哨戦はこれ。
こころ世代のテンノーゲーム - 非モテオフ・ホンネレポート
http://d.hatena.ne.jp/umeten/20051102/p2

しかし、有名ブロガーのほとんどが東京在住というこの歪んだ一極集中の構造こそが、「モテ」なるものではないのだろうか?この社会の歪みを正すためにも、東京には住みません!!*19

それにしても、みんな「東京人」というのは、イベント慣れしてるんだなーと参加者中唯一の田舎者はしみじみ感じたのでした。
だって、非モテオフなのにみんなオサレなんだもン!!(泣)
「……嘘つき!!」*20
なんだよもう!こっちが必死でカモフラージュして行ったのに、皆が皆、最低限以上のレディメイドの「個性」を「自然」と身にまとっていたじゃないか!っていうあの状況!!
それもこれも、東京という超巨大都市の中で、無記名不特定多数の「名無しさん」として生きるためのみ身づくろいとしての、「トゲ抜き」が「自律的」に行われているということですか。
無用のストレス、不要なトラブルを生まないための「やさしさ」であるとか、一目見て「異常者」であると疎外されないがための擬態の作法とかそういうものですかそうですかそうなんですかふーんふーんだ。

改めて読むとすごい言われようだ(笑)。
でも、これって東京というよりも、社会人的能力な気が。面識のない人間に初めて会った時の振る舞い方というか。
で、浅葉玲草さんによれば「東京ブロガー」なる単語を考えた、一番最初のきっかけとなったのは次の記事だそうだ。
【犬惑星】 - エデンノヒガシ
http://d.hatena.ne.jp/dogplanet/20050713/p1
【犬惑星】 - やっぱり地域格差は埋まってなかった…
http://d.hatena.ne.jp/dogplanet/20050716/p1
当時、これを読んだ時に思ったのは、東京に住んでいる人間が「東京はもはや特別ではない」と言えば、「東京は特別だ」って言われるし、「東京は特別だ」と言えば、これまたいろいろ言われて面倒だなあということ。
自分の認識としては、ネット通販の普及によって「モノ」ににおける都市圏と地方圏の格差はかなり埋まってきたけど、イベントなど「体験」に関しては、相変わらずの東京一極集中。そのため、地方では「体験」に対する飢餓感がかなりあるのだろうと感じている。

# dogplanet 『放浪する者にとって東京ていうのは最終目的地ではなく、過程であり選択肢のひとつなんですよ。きっと。東京に一歩足を踏み入れただけでは何もはじまらないし、何も終わらない。むしろ、「東京へ行きさえすれば」「東京へ居さえすれば」という気持ちは東京に憧れていた過去の自分に対する執着であって、目の前の東京ではないんじゃないかと思います。むしろ挫折によって別のフラグが立つこともあるし。どこに居ても馴染めないなら、それはまだ旅の途中ということなんでしょうかね。地元でも東京でもないどこかというフラグが立ったのかも。』

この記事の犬山さんのコメントを受けて、

# cleemy 『元ネタの2個目の方の dogplanetさんのコメントが秀逸ですな > 地元でも東京でもないどこかというフラグ
 (置き換えると) → リアルでもネットでもないどこかというフラグ
  → これが結局また「東京」に回収されてる?』

こんな連想が。
この問題はマスメディアの東京一極集中の延長で、ネットにおいても情報発信側が東京に集中してしまうことに対する危惧なのだろう。それをどうすれば解決できるかなどは自分は特に考えないけど…。

過去の議論

そして、この流れを見て、2003年のblog of the Yeah!後にこんな議論があったのを思い出した。
blog::TIAO: ぼくにとってのウェブログ-8・・・Contents Publishing Tool
http://blog.readymade.jp/tiao/archives/000515.html
DQN日記(++)(2003-12-14)デジタルデバイドin日本
http://www.dqnplus.org/~shibu/diary/?date=20031214#p01
network styly *: blog of the Yeah! 2003について、いまさら。
http://ellington.gel.sfc.keio.ac.jp/nsly/mt/ns/000780.html
blog::TIAO: 「blogに関する中央と周縁」と改めて言われると
http://blog.readymade.jp/tiao/archives/000518.html
blog::TIAO: 「blogに関する中央と周縁」と改めて言われると・・・その弐
http://blog.readymade.jp/tiao/archives/000520.html
この議論でblog::TIAOのMAOさんが「東京ではなくトウキョウ」と言っていたけど、イメージとしての東京という意味では「トウキョウブロガー」の方がより合っている気はする。
DQN日記(++)(2003-12-14)デジタルデバイドin日本
http://www.dqnplus.org/~shibu/diary/?date=20031214#p01

blogって、面白いことに人的なつながりを濃密に持っている人で、IQというか、頭の良い人が書くと面白いという性向があるような気がしてるのですが(切込隊長ってずばりそうじゃん)、そういう人って東京にほとんど集中してて、そういう人がオフラインでも情報交換を繰り返しながら新しい動きを作り出しているのではないか。つまり、情報化時代にオフラインのつながりがいかに重要かどうかが思い知らされるわけですな。

MAOさんが怒ったのは、DQN澁川さんのこの記述に対してなんだけど、別に地方の人が面白くないと言っている訳ではなくて、才能の一極集中化を語っているものだと読んだ。
blog::TIAO: 「blogに関する中央と周縁」と改めて言われると
http://blog.readymade.jp/tiao/archives/000518.html
のコメント欄より。

1.blogが普及して地方からの情報発信が今よりも盛んになったら東京と地方の情報量・価値のギャップは埋まるか。
2.東京と地方発のblogを比較して、より有益な情報(と人間関係)が構築されるのはどちらなのか。(べき法則は働くのか?)
3.東京が日本の袋小路の元凶か?=東京発のblogには価値がないのか?

DQN澁川さんの当時の議論の整理。
ギャップが埋まったかどうかは東京にいる人間としてはわからないというのが正直なところ。
ただ、この頃は、ロリポップはてなも地方組だったけど、今は東京にあるという事実は興味深い。ネット系のIT企業は、かなり東京に集中しているんじゃないか?

はてなブックマークの検索は精度が低過ぎ

前から思っていたんだけど、わかりやすい具体例があったので。
http://b.hatena.ne.jp/kanose/
ここから下の検索ボックスで「民族」を検索すると、
はてなブックマーク - はてなダイアリー - 終わらぬ「民族浄化セルビア・モンテネグロ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/asin/4087202976
しか出てこない。
しかし、下記も「民族」の文字が入っているが検索結果表示に出てこない。
はてなブックマーク - 貂主の国:ツラン民族圏
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.goo.ne.jp/north_eurasia/e/2ffb90126ce018b9e1f891b780f62827
なんでこういう現象起きるのかなあ…。
はてなブックマークは、自分がフィルターをかけたURLに対する絞り込み検索として使えそうなんだけど、こういうことがあるから使えないのが残念。結局タグを絶対つけないとまずいという。
※追記
はてブid:Retasuさんから情報提供。
はてなアイデア - [不具合]検索結果がおかしい。nobodyのブックマークから「それくらいの暗算はで」で検索すると1件hitするが「暗算はでき」で検索すると何もhitしない。同じものがhitすべき。
http://i.hatena.ne.jp/idea/5690
はてなアイデア - 一文字を検索した場合、結果が出ず、挙動も妙になりました。修正願います。(例)
http://i.hatena.ne.jp/idea/357
一文字検索は負荷が大きいからできない、ってのはわかるけど、単純な文字列マッチングができないのはなあ…。

『陰謀と幻想の大アジア』とツラン民族圏

貂主の国:ツラン民族圏
http://blog.goo.ne.jp/north_eurasia/e/2ffb90126ce018b9e1f891b780f62827
なお、このブックマークした記事は『陰謀と幻想の大アジア』という書籍の書評。偽史好きにはすごく面白そう。
そして、このタイトルのツラン民族圏というのは、この書籍の中で扱われているものだそうで、日本の北進論の一つのバリエーションらしい。すごく興味深い。

陰謀と幻想の大アジア

陰謀と幻想の大アジア

「俺にからめよ極東ブログ」と挑発する医学都市伝説(ウソ)

極東ブログ: 母親毒殺未遂高一少女事件の印象
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/11/post_42ce.html
極東ブログの静岡の母親毒殺未遂事件の記事に対して、医学都市伝説が反応。
医学都市伝説: クセナキスと精神医学(1)
http://med-legend.com/mt/archives/2005/11/post_695.html

ブログを通じて独自の姿勢から鋭い論評を展開しておられる「極東ブログ」では、そういう情報アクセスの疎外形態を批判するような安易な姿勢ではなく、この事件が自らの心象世界に落とす影を検証するというかたちでこの出来事を理解していこうとしておられるようである。しかし、正直いってその記述と考察は何一つ私には理解できない。メダルト・ボスを引いておられる理由もさっぱりわからない(*)。自分自身の教養のなさを思い知る一方で、こういうアプローチは書いておられる本人にしか意味がないのだろうとも思う。もちろん、その蘊蓄と文体に感銘を受ける人にとっても意味はあるのだろうが、少なくとも私はその一人ではないようだ。

「そんなを書いてもあなたの自己満足ですよー」をこんな遠回しに!
http://finalvent.jugem.jp/?eid=53
そして最近の極東ブログのお勧め図書が木村敏氏であるかのを見たのか、
医学都市伝説: クセナキスと精神医学(2)
http://med-legend.com/mt/archives/2005/11/post_696.html

我々はクセナキスのような超絶ポリフォニーは決して奏でず、言うならば初心者向け3コードしか使わない。事実関係を明らかにし、病的過程の有無を判断し、医療的介入の是非について決定するだけである。スポーツでもアマチュアの方がプロより技巧に優れている分野があるが(スキーとか、スケートとか)、精神医学もその一つなのである。個人的な趣味のレベルで技巧を駆使するのは自由で、それが「芸」のレベルに達するものなら物書きとか(キムラビンさんとか)、マスコミ芸人(なんとかリカさんとか)になるのも一つの道である。多様な生き方を切り開く勇気には賞賛を惜しまないのだが、それとサービス業としての精神医学臨床は全く別モノなのである。

なんて感じで。関係ないけど「キムラビン」って「キム・ラビン」と読むと、イスラエルの元首相みたいだ。
この事件に対しては、

え、「母親殺害未遂事件」はどうなんだって?世の中には訳わからんことする人は多い、というあたりで勘弁して頂くしかありません。自分の痛みには敏感だが、他者の痛みには全く目を向けられないという人はいますからなぁ。あの年代なら、精神疾患の始まりである可能性は高いのではないかなぁ、というのが精一杯の意見。

と締める。
この攻め方は、最近の派手な揉め事に比べると地味だが、炭火のような燃え方で渋いね! ねちっこいとも言うけど。
思考錯誤 - 母親毒殺未遂事件とリアリティ・ブログ
http://d.hatena.ne.jp/dice-x/20051104#p1
この事件に対しては、辻大介さんの文章が面白かった。自分なりの乱暴な要約をすると、「不思議な事件に対して、ブログは容易にワイドショウ化する」というもの。
社会的な事件に対していろいろ意見を言うブログに対して「新聞投書ブログ」という名称を考えていたんだけど「ワイドショウブログ」のほうがいいかもしれない。自分も含めて、ワイドショウ化に荷担するということはよく考えておきたい。
あと、同じ高校生であるi:rir6さんが、
はてなブックマーク - 母を毒殺未遂容疑の高1女子、ブログで動機示唆 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20051101i408.htm

2005年11月01日 rir6 『[★★★☆☆]『悔しいなぁ……』』

というコメントを残していて、何がどう「悔しい」のかすごく気になった。「同じ静岡の高校生が目立って悔しいの?」とか安易な想像はたくさんできたけど。
※タイトルの元ネタはこれ
猫を償うに猫をもってせよ - 俺にからめよ山形浩生
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20050930