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最近はオーディオブログです

ファミコンゲームをガレージカンパニーで開発できたという誤解

なんつーか、ゲーム業界って、誤解が多いな。[↑B]
古い話題だけど、突っ込みを見かけなかったので書いておく。

当時ファミコンが店頭に並んでいた時代、ゲーム製作は金山堀りとおんなじだった、
ちっともうだつのあがらなかったどうしようもない大学生や専門学校生がはじき出されるように社会に出て、「どうする?俺就職できね、ゲームでも作る?」って具合にはじめることが出来たのが当時のファミコンゲームのソフト会社の製作環境。
ちょうど雰囲気的には今のエロゲ製作サークル活動に似ている。

これはひどい誤解。
任天堂は限られた会社にしか開発を許諾しておらず、ガレージカンパニーにはファミコンの開発に関われていない。そして開発機器はかなり高かったため、300万円程度の予算では無理だろう。
だからこそ、ゲームフリーク田尻智氏たちが自分たちでファミコンを解析して、ファミコンとCPUが同じアップルIIで開発し、できあがったゲームをナムコに持ち込んだのだ。その辺りは『田尻 智 ~ポケモンを創った男』に詳しい。

田尻 智 ~ポケモンを創った男

田尻 智 ~ポケモンを創った男



ここでいわれているのはPCゲームの開発会社の初期ではないか? 許諾がなくても開発ができるPCゲームではこうしたガレージカンパニーがいっぱいあった。ガレージカンパニー以前は個人が開発したゲームをショップが買い取り、それをツクモ電器やハドソンといったパソコンショップが売っていた。そうしたガレージカンパニーが大きくなって、ファミコンに参入し、家庭用ゲーム市場の巨大化とともに、更に会社も大きくなっていった。
その後、X68000が出た頃にはエグザクトやZOOMなどの新しいガレージカンパニーが登場し、その後PSで開発したり…なんてことも。
Cafe Bossa Masuda (増団) - 増田小夜 - ゲームの誤解の話[↑B]
PSについての話はこちらを参照。
こうした誤解が起きないように、誰か正しいゲームの歴史を書いて欲しいものだ。年表ではなくて、ちゃんと文脈がわかる歴史解説が読みたい。