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最近はオーディオブログです

共同幻想体を望む人たち

【N.C.P】特別編「2001=1978」
http://www.cuteplus.flop.jp/works/column02.html
 話を戻すと、反動化と肯定という、どちらの流れにも乗り切れなかった層が、特に20代後半から30代にかけて、それなりに存在していて、その層が「ゲーム性に幻想抱いている人のためのデジタル御本尊=ガンパレード・マーチ」を支えている、のだと思う。共同幻想体としてのメディアを未だ望んでいる人々と言い換えても良いが、残念ながら、共同幻想体が信者の信仰を裏切るスピードは、情報化社会の発達に伴い、更に加速している。

検索していたら、昔の更科コラムに当たってなんとなく読み直したんだけど、今読むと味わい深い。これは『ガンパレード・マーチ』がブームになっていた頃に書かれたものだ。更科さんの言っていることは別に今も変わってないのだが。
これが書かれた頃、『月姫』はもう出ていたんだけど、出て二ヶ月程度だったので、すごい盛り上がりというほどではなかったからか、ここで言及されてない。ただ、その後、同じような話はしたなあ。リーフ発見ブームをリアルタイムで経験できなかった人たちによる御輿じゃね?と。
エヴァンゲリオン』も『ガンパレードマーチ』も『月姫』も、最初に出てきた作品がブームになったから「自分たちで見つけた感」があったけど、『涼宮ハルヒ』は、事前に小説という形であった作品なのに、アニメでブームになったというのが「ブームが作られた感」を感じさせるのだろう。『ひぐらしのなく頃に』でも、ネット界隈での盛り上がりの早さに「ブームが作られた感」を表明する人はいたが。