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最近はオーディオブログです

尊厳ポートフォリオ

もじれの日々 - ある自己撤退
http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060703#p1
# おいなり 『ヒラリーマンさん、その発言はいただけません。ここ(および他の就職・労働関連ブログ)でたとえ独善的○波であっても書き込みし続けることが、ワタリ氏の「尊厳のリソース」になっていることは明らかです。
ヒラリーマンさん、煽りでなく真剣に思うのですが、「能力以外の尊厳のリソース」の多様性を担保するのは、(俗世間で上昇できるという意味での)能力を持つ人々の「電波」(あるいは、独善、視野狭窄、想像力の欠如、等々)許容性です。どこまで「見て見ぬふり」できるかにかかっています。
ヒラリーマンさん、あなたは一人の人間の一つのリソースを奪いました。多様性を一つ壊しました。僕はそう思う。』
# ヒラリーマン 『それは難しい問題だと思います。「電波」に悪口を書かざるを得ない「毒電波」の持ち主である私が、皮肉コメントをのせることを尊厳のリソースにしているとしましょう(実際に私はその程度に卑しい人間ですが)。ワタリさんの多様性とやらを許容することによって、私が「毒電波」を発信することによって得られる「尊厳」を機会費用として失うことにはなりませんか? 他人と衝突しない多様性ばかりならよいですが、この世の中で圧倒的多数を占めるケースにおいて、誰かの「尊厳」は誰かの「尊厳」を失わせることで成り立っている。そのように私は考えています。』

本田由紀氏の“「負け」ても生活していけること、「能力」以外の「尊厳のリソース」の選択肢が多元的に存在すること、それがどうしても必要だ”という発言をきっかけにコメント欄で興味深い議論が。
尊厳もリスクを考えて分散させ、多様なリソースで確保する。尊厳ポートフォリオを作り、自分の尊厳のリソースの配置を意識しておく。
ネットに尊厳のリソースを求めている人と議論しちゃいけないってオオツネさんがよく言うけど(オオツネさんの場合「自尊心」)、ネットに尊厳のリソースを求めること自体が悪い訳ではなく、尊厳のリソースの多くを求めることがまずいんだろう。
一般的に“誰かの「尊厳」は誰かの「尊厳」を失わせることで成り立っている”としても、その他人の尊厳を奪う合理的な理由がなければ、ツッコミされる。合理的な理由がなければ、優越感ゲームになってしまうからだ。
※オオツネ用語集
「自尊心バトル」「優越感ゲーム」「自殺しない回路」