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最近はオーディオブログです

趣味で人間性を決めつける「素晴らしい人々」から逃れるための闘争

「素晴らしい人々」は©id:republic1963さん。

死に舞 - 文化的優劣について
http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20060501/p3
それが脱オタにしろ非モテを固持するにしろ、彼らがファッションを語るときにその脱目的性(つまりはファッションやオシャレってのはただ楽しいからするという観点)が捨象されるという特徴がある。

死に舞さんは「ただ楽しいからする」という考え自体を否定してたような? この後に書かれた文章も合わせて読むと、単にそういうことではないとは思えるんだけど、よくわからないので一応疑問として書いておく。

純粋なココロ 2.0: モテないとわかっていて、あえてオタク趣味を選択した?そんなヤツいるん?
http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2006/05/post_70da.html
「愛」も「萌え」も定義は広い。 - “モテないとわかっていて、あえてオタク趣味を選択した”私
http://d.hatena.ne.jp/osito/20060508/p1
velvetdeath - モテないから、あえてオタクを選択するんだろ。
http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20060508/p1

この辺の議論は興味深かったんだけど、あまり進展しなかった。

死に舞 - さよなら文化、そしてこんにちはウ○コ
http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20060516/p2
なんというかここ最近の議論に関わる「文化」や「趣味」が他者との関係において構築されるという点を捨象しているというか、健全な「趣味」や「文化」ってのは純粋な欲望ののみによって成り立っているかのように語られる。そして他人の視線や、自らの社会的な利害(つまりはモテたりカッコイイと思われたり)によって駆動されるものは病とされる(中二病、高ニ病など)。

さて、本題はこっち。
死に舞さんがこんなに屈託なく言えるのは、自分の選んだ趣味が、特に他人からバカにされた経験がないからなんだろうなあと思った。オタクのように、自分の趣味に他人からバカにされた経験がなさそうなんで。オタクが、純粋な欲望のみのよって成り立つ趣味があると信じたいのは、現在の趣味が「他者との関係において構築」され過ぎていることへの違和感表明なのだ。
10代の間にオタク差別はないなんて言う人も多いけど、実際に聞いてみると今でもいろいろな形での差別があるなあと思う。10代なんてのは、些細な差異を見つけて、差別する生き物なんだから当然だろう。そうやって差別されている層が、お前らモテのために(以下略)という視点を持ってもしょうがないとは思う。
若年層で嫌われるオタクというのはどうも「オタクである自分を認めてよ」と周囲に声高に主張するタイプらしいということ。それは「真剣10代しゃべり場」のオタクネタの時でも見受けられる。「他人からどう見られるか」というのに重点を置き過ぎた結果、「他人が自分をどう見るか?」というのを、無理矢理言葉で変えようとしているのだろう。それがより悪い方向に働き、排除されてしまう。
「他人の視線を気にすること」と「他人の視線によって趣味を変えること」は違う。自分は、「他人の視線によって趣味を変えること」を批判しているが、「他人の視線を気にすること」自体は問題視してない。
薄い人間関係においては、趣味だけによって、その人はこういう人だと決めつける人は多い。マクロレベルの文化の発展という意味では文化に対する無根拠な差別は必要だけど、実際の人間関係のようなミクロレベルでは、趣味で人間を見るのではなく、本人そのものを見て判断して欲しいものだ。
オタクの反発は、こういった趣味だけで人格を決めつけられる、ひどい時は犯罪者扱い、そういう経験がベースにあるのは忘れないで欲しい。