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2000年代に考える「ネアカ」と「ネクラ」

ユリイカ2005年8月増刊号 総特集=オタクvsサブカル! 1991→2005ポップカルチャー全史
ユリイカ増刊でのdemiさんの原稿のラスト辺り、

もはや単に趣味によって「オタク」と有徴化され、差別抑圧されるものはいなくなった。代わりにあるのがコミュニケーションスキルの低い者、愛されない者、社会的能力のない者に対する容赦のない軽蔑の視線である。サブカルとオタクの差異は(外的には)もはや存在しないといっていい。

を読みながら、demiさんの言うことは正論なんだけど、その状況に追い詰められる人ってのは確実に出てくるだろうなあということを考えてしまった。
コミュニケーションスキルの高低というのはしばしば話題になるし、自分もよく話題にするんだけど、これは1980年代の「ネアカ」「ネクラ」問題とはどう違うのだろうか。
考えてみると、当時「ネクラ」と言われた人というのは、普通の人にはなかなか理解できない独自の価値観を趣味とかで持っているが故に、コミュニケーションできずに「ネクラ」と言われていた。だから、オタクなんかはネクラと繋げられてよく話題にされた。
で、現在でも、そういうタイプの人はいるんだろうけど少数派な気がしてる。今多いタイプは、一般的な価値観に馴染めない、かといって、強力な自分だけの価値観を持つこともできない人たちなんじゃないだろうか。
よく、オタクは「なるものではなく、勝手になってしまうものだ」と言われるけど*1、一般的な価値観に馴染めないから、マイナーな文化をたまたま選んでしまっただけの人が増えてきていて、そういう流れのオタクというのは「たまたまなってしまった」になるだろう。「オタクの浸透と拡散」である。エルメスにいわれてオタク趣味をやめてしまった「電車男」がわかりやすいが、彼にとってはオタク趣味はその程度のものだった。
そういうタイプの人は、自分がどういうものを好きかという体系化するなどの価値観を持たずに、ネットなどでなんとなく流行っている「オタクっぽい」とされるアイテムを消費していく。ここ最近のオタク業界を見ていると流行にかなり左右されている印象を受けるのは、そういう人が増えたからではないか?
もちろん、昔からオタクは移り気と言われていたし、特に同人業界は流行り廃りが激しかった。そういった同人業界的なノリが、ネットという技術の進化とともに浸透化したのだろうが、オタクの数が増えたことによる一般化とはこういうことなのだろう。
最初の話題に戻る。こういった「なんとなくオタクになってしまった人」というのはどうすればいいんだろうか? 「コミュニケーションスキルが低いです」「自分の独自の価値観も持ってません」「価値観を表現する能力もありません」と言われたら、コミュニケーションスキルを上げるか、価値観を構築してみたら、表現能力を持ってみたら…ぐらいしか言えない。これらを受け入れられなかったら、テロ*2に走るしかなくなっちゃうんじゃないだろうか…。
※追記
「コミュニケーションスキル」って何?という指摘もあったので補足。ここでいう「コミュニケーションスキル」は、価値観を共有してない人との交流能力を考えていた。なので、価値観が同じ人との交流能力は考慮してない。で、この考えを極端化すると結局異性との交流能力問題になって「非モテ」問題などに繋がるんだろう。
逃走航路@hatena - ARTIFACT@ハテナ系 - 2000年代に考える「ネアカ」と「ネクラ」
http://d.hatena.ne.jp/tenkoma/20050817/1124274632

最近,痛感するのがコミュニケーションの難しさ.難しいけど,コミュニケーションすることで―楽しい思いができたり新しい考えかたを見つけたりできる―ということもわかったんですが.価値観を持つだけでは;独自の価値観を持っている,と思いこむだけではうまくコミュニケーションをとることはできない,というのでしょうか.

どんなに独自の価値観を持っていても、プレゼン能力が低いと他者は理解してくれないと。

*1:げんしけん』とか

*2:といってもkiya2014さんみたいにネットで他人のブログにイヤガラセコメントをつける程度のことだが