http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20050221#p1
もともと、永野(sarutora)さんの考察になるほどと思ったというのがあってリンクしたのでした。あのコメントは、永野さんの考察への批判ではなくて、自分が「反戦」や「反戦運動」という全般的な言葉に対する違和感でした。「イラク反戦運動」という個別の運動に関しては、自分は特に言及したことはないんですが、違和感は感じてなかったですよ。
自分の場合、「反戦運動」に対して批判的な「反・反戦」的な言説を書いたのを探してみると『左翼の人が想像する「日本の戦争」』(http://d.hatena.ne.jp/kanose/20040731#tsukurikata)というのがあります。
反戦活動のみ過剰に実効性の検証が要求されているのではないか? もっと実効性が要求されることがあるのではないか?という話ですけど、他者への影響が具体的に見えるような活動なら、それなりの検証はされていると思います。ただ、せっかく検証されても、それが広く知れ渡るかどうかは別なので、それが問題なのでしょう。イラク戦争においても、開戦理由だった大量破壊兵器の有無などは検証されましたが、それがアメリカ国民に広く知れ渡っている訳ではないようですし(このデータをどこで知ったかはちょっと失念したので間違いかも)。
現在の自衛隊のイラク派兵も、そういう実効性の検証視点からの報道は多いです。ただ、派兵に賛成する立場からは有効だったと思えるような情報が、派兵に反対する立場からは無効だったと思えるような情報が…といったように、情報が政治的スタンスに左右され過ぎているので、冷静に検証するためにはもっと時間が経たないと難しいと思います。
反戦運動は、精神面への影響なので、実証性の検証が難しいというのはあります。湾岸戦争時の反戦運動において感じたのは、湾岸戦争は国際社会においてある程度認知された戦争で、止めることはまず難しかった。そんな戦争に反対したものの結局戦争起きちゃったじゃんという「無力感」を当時反戦運動をしていた人が感じ、そしてそれが今に繋がっている面があるのではないかとちょっと思ったのでした。もちろん、これはあくまで推測です。
また、湾岸戦争は今後日本が海外の戦争にどうコミットするか?を考える良い機会であったろうに、そういう機会を奪ってしまった面もあると思っています。戦争に「賛成」する、「反対」する以前に、日本においては「戦争」はともかく悪でそれについて深く知ったり、考えるするだけでも悪いこととされてきたために、「戦争について考える」ということが今までおろそかにされていたのではないかというのが自分の考えです。そのために逆に軍事力で何でも解決できるといった極端な意見も出てくるようになってしまいました。なぜ戦争が起きるのか、そして起きた場合、どうやって解決できるのか、そういった過去の先例を学ぶべきだと思います。