http://deadletter.hmc5.com/blog/archives/000090.html
以前から靖国陣社にA級戦犯を合祀したのは誰だったんだろうか?*1 多分靖国神社の誰かなんだろうと思っていたんだけど、その疑問に答えてくれる情報が。引用した文章の「天皇」は「昭和天皇」で。
一応ここで靖国への合祀までの事務的な流れを簡単に説明しておく。(1)厚生省(引揚援護局)が、保管されている戦没者カードと靖国神社による「合祀基準」と照合・選別して所定の「祭神名票」に書きこみを行い、(2)それを靖国神社へ送付する。(3)神社側は「霊璽簿」にそれを写し、さらに「索引簿」を作成した上で遺族に通知する。(4)年2回の例大祭の前夜に合祀の儀式を行う…という流れだ。
注目すべきなのはこの中の「合祀基準」だ。これは、戦前では陸軍が、戦後は靖国神社が審査し、天皇に裁可を貰い決定に至る、という形を取っていた。要するにA級戦犯合祀を行うには天皇の了解を取り付けなければならなかったということだ。
1966年引揚援護局はA級戦犯の「祭神票」を靖国神社に送り付けた。しかしこの当時の宮司、筑波藤麿は、天皇家や宮内庁内の空気を知っていたが為にそれに配慮し合祀を差し止めた。事態が急変したのは、その筑波宮司が急逝し、後任の宮司に東京裁判否定派の松平永芳が就いてからだった。1978年松平は宮司預かりとなっていたA級戦犯合祀を行うことを決意し、合祀者名簿を天皇のもとへ持って行く。それを受け取った徳川侍従次長は、天皇の意向に基づき相当の憂慮を表明したが、松平はそれを無視し、独断で合祀を強行してしまう。結果、昭和天皇はこれに反発し、以降靖国参拝は取り止めとなってしまい、今に至るというわけだ。

- 作者: 秦郁彦
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靖国参拝問題で、一番の根っこである「A級戦犯を合祀」において、誰が合祀したのかってまったく議論されてないのは不思議だったんだけどなんでなんだろうか。
秦郁彦といえば、資料をガチガチに調べる歴史学者で、偏った歴史観を批判し、右や左の両方から疎まれる素敵な歴史学者なので、このテの歴史認識話をする人の中では信頼性が高いと思ってる。
http://d.hatena.ne.jp/gachapinfan/20050207#p7
2月6日の読売で岡崎久彦が、昭和天皇が戦争指導部を信頼していたから、A級戦犯合祀発覚後、昭和天皇が靖国参拝を拒んだことはありえないと書いているそうだ。
確かに戦争初期は東条を信頼していたらしいのだが、それはその前の軍人や政治家があまりにダメだったかららしい。まあ、政治家がダメになった理由としては、もちろん軍部の発言力増大ってのがあるんだけど。でも、敗戦時には信頼なんてなかったという。
*1:このせいで後世でこんなに面倒なことになってるんだから