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気になる本『東京満蒙開拓団』

東京満蒙開拓団 (ゆまに学芸選書ULULA5)

東京満蒙開拓団 (ゆまに学芸選書ULULA5)

満蒙開拓団のさきがけは、1932年の東京のルンペン開拓団であり、最後の開拓団も1945年東京の疎開開拓団であった……。

多くの悲劇を生んだ満蒙開拓団のなかで、その史実が空白となっていた東京からの開拓団を追った本格的研究。5年の歳月をかけ、書籍、新聞はもちろん公文書まで調査し、また聞き書きを加え、東京からの満蒙開拓団の全貌をあきらかにする。

社会福祉団体が牽引した「天照園移民」、エリート養成を目指した「満洲鏡泊学園」、宗教団体が関わった「多摩川農民訓練所」、大量移民期に対応する「東京府拓務訓練所」、新島の「分村」、女性の立場から見た「大陸の花嫁」、戦時体制の被害者である「転業開拓団」、戦争末期に現れた「青少年義勇軍」、「報国農場」、空襲被災者の「疎開開拓団」、幻の「小河内村開拓団伝説」など、多くの事実を発掘。

満州の開拓団といえば、地方の農家を中心にしたという印象があるが、東京からも1万人ほど送り込まれたそうだ。日本の棄民政策ともいえるような移民政策に関心があるのでチェックしたい。
編集部便り一覧 - ゆまに書房[↑B]

 そんなことに思い至ったのは、今、『東京満蒙開拓団』(ULULA叢書5)という本に関わっているからだろう。(8月刊行予定)
 その企画内容を、著者の「東京の満蒙開拓団を知る会」の方々から伺うまでは、東京からの開拓団の存在は、ほとんど知らなかった。長野県の開拓団の話や、農山村から過剰人口を分村移民として送り出したといったことは、何となくどこかで読んではいたが、東京と開拓団は結びつかなかった。しかし、日本全体で、満蒙開拓団と満蒙開拓青少年義勇軍とであわせて約32万人が移民として満洲へ渡ったとされており、その内の1万1千人余りが東京から行ったと言われる。決して小さい数字ではない。
 本書は、「東京の満蒙開拓団を知る会」のメンバーが、2007年から5年のあいだ調査研究を重ねた成果である。書籍、雑誌、新聞の調査、体験者や関係者へのインタビュー、そして、多くの公文書の調査により、東京から多くの人々がなぜ満蒙開拓団として大陸へ渡ったのかという謎の解明を試みている。詳細は、本書を開いていただければわかることであるが、ルンペン移民、中小商工業者移民、大陸の花嫁、疎開移民など、時代の動きや政府の施策と密接につながっていることが興味深い。
 開拓団の結末は、苦難の逃避行、残留孤児や残留婦人ということになる。日本近代史にちょっと関わっている者としては、日本の「近代」の結末が、満洲における「棄民」がであったのかと、残念に思えてくる。実は、田中宏巳著『マッカーサーと戦った日本軍―ニューギニア戦の記録』に関わった折にも、ニューギニアにおける「棄兵」について、同様の感想を持った。なお、小社では、残留婦人を取り上げた班忠義著『近くて遠い祖国』(在庫僅少)という本もある。
 1936年、広田内閣でその計画が決議され、満洲移民は国策となった。しかし1945年8月9日ソ連が参戦したとき、満洲の広野に人々は残され、それを決め、進めた人達はそこにはいなかった。そして、2011年3月に破綻した戦後の大きな国策についても、思わざるを得ない。
 池袋西口公園にさざめく人々を見ていて、ここから250キロほどのところにある壊れた原子炉のことが、気になってきた。

東京満蒙開拓団/農民訓練所あった/失業者ら中国に送り出す/実像の一端判明[↑B]