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最近はオーディオブログです

他人の不幸に対して「ああゆうやつって馬鹿だよねー」ということに社会的意味があるという人

ネット上のコミュニケーションスキルと能力格差について - BiBowLog[↑B]

asami81さんのもともとのエントリは、どう考えても個人に向けられたものではない。不特定多数を対象としたエンターテイメントだ。ウェブに作為的にアップされた情報のなかに、個人的なメッセージがあると考えるほうがどうかしてる。大体、個人的なメッセージであれば見ず知らずの人にアホとか言わないだろ常識的に考えて、というところまで考えつく脳みそがあるのであれば、とりあえず個人的なメッセージでない可能性を疑うべき。

元記事において下記のような表現があるから、個人的メッセージの要素があると読み取った。chnpkさんはこの部分をどのように読み取ったのか? この表現に個人的メッセージの要素がないというのなら、言い訳として読んだのだろうか?
増田さんへ。私は久しぶりに激怒しました。 - iGirl[↑B]

増田さんは自分しか見ていない。せめて彼女のことをちゃんと見てあげてください*6。好きなら貫きましょうよ!頑張ってください。今頑張らないでいつ頑張る!

増田さんの気持ちとか彼女さんの気持ちとか痛いほど分かるつもりです。でもだからこそ腹が立った。できることがたくさんあるから。とりあえずお酒に頼らないでほしい。
応援しています!!ガンガレーーーーーーーーー!

相手のためを思って言っているのなら、あのような発言スタイルでは通じないと思ったし、そうでなく閲覧者受けを狙っているというのなら、相手のためを思っているなんて言わないほうがいい。
asami81さんの発言意図は、あくまで相手のためを思ってだと思っているので、前の記事を書いた。
ネット上のコミュニケーションスキルと能力格差について - BiBowLog[↑B]

ちょっと待てと。そうやってなんでもかんでも釣り認定して有能な芸人を排除するんじゃない。あれは単に不特定多数向けのコミュニケーションスキルを活用した、というだけのことだ。内容に嘘があるかは知らないが、そもそも素晴らしい内容だ。ああゆうすぐ逃げ出す馬鹿増田のことを、みんなの前で、でっかい声でああゆうやつって馬鹿だよねー、ということ自体は発話者のストレス解消以上に、社会的に見て意味のあることだと思う。

他人の不幸に対して「ああゆうやつって馬鹿だよねー」ということに、いったい、どんな社会的に意味があるのだろうか? そんなものはワイドショー的娯楽だ。
もしchnpkさんが指摘するように、もしあの記事が「不特定多数を対象としたエンターテイメント」というのなら、「他人の不幸をネタにエンターテイメントを書くなよ」という話になる。再度書くが、そうではないと思ったから、あの記事を書いた。

そういう純粋に能力のある人を侮蔑の対象にして、わけのわからない人間的正義を掲げるのは、ルサンチマン以外の何物でもない。いい加減他人様の足を引っ張るのはやめて自分を省みたほうがいい。

chnpkさんは、asami81さんの記事を「他人の不幸をネタにした、不特定多数を対象としたエンターテイメント」と評しているが、asami81さんの記事に込めた思いを無視したことによって、asami81さんの記事の価値を貶めていると自分には見えるのだが。