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最近はオーディオブログです

ネットのメタファーなら「広場で演説している」を推奨したい

公開する事のリスクと儀礼的無関心 - カナかな団首領の自転車置き場[↑B]
このカナかな団首領さんの記事はうまい整理なんだけど、実際には「広場で絵を描いている」のでなくて「広場で演説をしている」に近い。
広場で演説をしていても大体は無視されるけど、たまに他人から注目を集めることがある。その注目を避けることは、広場での演説と違い、mixiやVox、nowaなどシステム的に避けることはできるが、そういう知識がもともとない人が多い。そして、集まってきた人たちの感想も聞こえてくる。「広場で演説する」という行為は、聴衆の行動を管理できない。
「スゲー下手!」「これはひどい」判定こそミクシィでやれ! - くっぱのブログ[↑B]
これに対する反応として、商業ベースでない表現に対して、受け手がどの点に注目したかを表明するのはいいが、その結果どのような判定を下したかということについては基準がよくわからないのだから、判定の表明は非公開の場ですべきというものがあった。
でも、これが「すげー上手い」「これはすごい」判定だったら、公開の場でして欲しいだろうから、「判定を非公開の場でするな」ではなくて、「ネガティブな判定は非公開の場でしろ」なのでは。
それとよく言われているようにはてなブックマークは、コメントが一覧できて、一斉に複数の人に言われているかのように見える。だから「ネガティブな判定」が多くの人の前でされているかのように見える点が問題なのだろう。
ネガティブな判定を、あまり知名度のない個人のブログでされても、大して気にならないだろうし。と、思ったのだが、あまり知られていないサイトなら、アクセスログで細かく言及を追いかけられるだろうから、アクセスログを見て、どんな言及されているだろうと思ったら、「すげー下手」と書いてあったほうがショックかも…。
元の話題が「広場で絵を描く」だから、絵や音楽といった表現活動が想定されているようだけど、意見表明とこういった芸術領域での表現活動はわけたほうがよさそうだ。
自分は、どういう思考経緯を持って、そのような判定が下されたのかがわかればいいとは思う派。そういえば以前とあるいじめを題材にしたウェブ漫画が「リアルじゃない」といって批判されていたのを見かけて、「リアルじゃない」はもっと言葉が尽くされないとあまり意図が伝わらない困った表現だなあと思ったことがあった。