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前島賢氏のスレイヤーズ発言の真意説明

上手になるとか学ぶとかいうことにはリスクがある - ラノ漫―ライトノベルのマンガを本気で作る編集者の雑記―[↑B]

前島賢氏はかつて「スレイヤーズが好きだった10代の僕を、どうやって肯定すればいいんですか!」と言いました。かつて楽しかったものが楽しめなくなるというのは「知識の呪い」に他なりません。

この記事で自分の過去記事がリンクされているのに気付いたので。
前島賢氏の「スレイヤーズが好きだった10代の僕を、どうやって肯定すればいいんですか!」がピックアップされているが、この発言は子供時代には読めた小説が大人になると読めないという話ではなく、もっと背景がある。
スレイヤーズ』が読めなくなった、ではなくて、かつて読んでいた『スレイヤーズ』を語る言葉を自分は持てない、という叫びなのだ。
スレイヤーズばなし - 前島日記[↑B]

いまや、『スレイヤーズ』という作品は、過去に大ヒットした作品という意味でしか語られなくなっている。いや、もちろん今でも『スレイヤーズ』を評価する言葉というのはいっぱいあるんです。新城カズマ氏の『ライトノベル「超」入門』だって、ちゃんと言及している。だけど言葉に対する捉え方が『エヴァ』によって決定的に変化してしまったために、(少なくとも、僕自身は)その言葉では『スレイヤーズ』を評価したことにならなくなっている、といったらいいでしょうか。
エヴァ』以降、オタクの作品語りってかなり変化してるんです。それまでの「作品の細部(それは設定であったり作画であったりするでしょう)に注目して薀蓄を語る」という態度から「作品ハマっている自分自身について語る」へと決定的に変化した。それの一方が「シンジ君は僕なんですよ!」という「実存化」であり、もう一方が「○○萌えー!」です。

これで最後だ! スレイヤーズばなし - 前島日記[↑B]