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巨大な破壊力を持っているロボットが在日米軍で、それを文民統制している無垢な少年こそが日本

アニメや漫画で、なぜ子供が主人公になるか問題に関しての参考資料として内田樹氏の発言をメモ。ちょっと決めつけ感が強いし、この「文民統制」という言葉の使い方がおかしい。文民統制って自国内の軍隊に対して使う言葉だし。普通に「アメリカと日本」と見たほうがいいんじゃないだろうか。
内田樹の研究室 2006: 売れた新書が五万冊

大学院はウッキーの発表で「アメコミ」。
私はアメコミというものに全然関心がないし、これをアートとしても批評としても評価しないという立場なので、ウッキーの報告と関係なく、日米マンガ比較という論点から「あれって、これじゃない」的妄説を伸べさせて頂く。
繰り返し申し上げているとおり、アメコミの「スーパーヒーロー」はすべてアメリカの「セルフイメージ」である。
それは「生来ひよわな青年」がなぜか「恐るべき破壊力」を賦与され、とりあえず「悪を倒し、世界に平和をもたらす」ために日々献身的に活動するのであるが、あまり期待通りには感謝されず、「おまえこそ世界を破壊しているじゃないか」という人々の心ない罵詈雑言を浴びて傷つく・・・というものである。
スパイダーマン2』がアメリカのイラク侵攻の心理劇化であるということに気づいている人はあまりいない。
一方、日本の戦後マンガのヒーローものの説話的定型は「生来ひよわな少年」が、もののはずみで「恐るべき破壊力をもったモビルスーツ状のメカ」の「操縦」を委ねられ、「無垢な魂を持った少年」だけが操作できるこの破壊装置の「善用」によって、とりあえず極東の一部に地域限定的な平和をもたらしている、というものである。
これは『魔神ガロン』から『鉄人28号』、『ガンダム』、『デビルマン』、『マジンガーZ』を経て『エヴァンゲリオン』に至る「ヒーローマンガの王道」である。
この「恐るべき破壊力をもったモビルスーツ状のメカ」は日米安保条約によって駐留する在日米軍であり、それを「文民統制」している「無垢な少年」こそ日本のセルフイメージに他ならない。
1950年代の日本のメンタリティをもっともみごとに映し出している『鉄人28号』において、「鉄人」は米軍(および創設されたばかりの自衛隊)を表している。だとすれば、その操縦を委ねられる「戦後生まれで、侵略戦争に荷担した経験をもたない無垢な正太郎少年」は、論理の経済からして、「憲法第九条」の表象以外にはありえないのである。