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普段から差別表現と受け止められる可能性のある罵倒発言をしている人が「差別」だということ

ARTIFACT@ハテナ系 - 売春婦への蔑視発言の話
前回書いた事を要約すれば、

  • 普段から他人に罵倒表現を繰り返している
  • 相手の社会的属性に対する罵倒もよく見受けられ、これは差別的発言と受け取れる
  • そんな人が自分に対して同じような発言が向けられた時に差別だ!と言う
  • これはあまりに自分に都合がよくないか?

罵倒をするのは自由だけど、自分にその罵倒が向けられることを考えてないのなら、罵倒をすべきではない。
今後yukiさんが、他人に対して何らかの社会的属性に対する罵倒をした時、今回のyukiさんの発言は問題ないと言っている人たちは、それを問題視するだろうか? 問題視するのなら公正だと考えるが、おそらくしないだろう。たまたま今回の件が「売春婦」というわかりやすい事例だから問題視されたのだろうし。もしかするとyukiさんの罵倒は芸として面白いからokとか?
弱者であると主張した人間の行為がすべて肯定される訳ではないのに、そうした部分を見逃すといった不公正さが、弱者利権の主張などのバックラッシュを呼んでしまう。
今回の件は、普段からyukiさんの言動を見ている人たちと、そうでない人たちの間の温度差があるのだろうなあ。罵倒言動を見ていても、そこは気にしない、眼をつぶるというのは「中国の核はきれいな核」状態だ。


※近いことが匿名ダイアリーで書かれていたので参考にリンク
yuki_19762被差別陰謀論

『道徳や倫理や社会秩序を重んじるのならば、本来なにより憎むべきは差別ではないのか』というエントリを書いているけれど正直いって「あんたに言われたくない」でしかない。あれだけの罵倒語を遣い、散々人を馬鹿にし、中傷し、なぶり者にしてきたyuki_19762が何を言っても綺麗事にしか聞こえないという構造がある事に気付いたほうが良い。