ARTIFACT@はてブロ

最近はオーディオブログです

ブログやmixiでよく見かける「毛づくろい的コミュニケーション」

分裂勘違い君劇場 - コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060414/1144999515
それと、コミュニケーション能力ばかり高い人のブログはつまらないことが多いと思いませんか?
コミュニケーション能力は高いし、空気も読めるから、人はそこそこ集まってくるんだけど、肝心のコミュニケートする内容が薄いブログのことです。

大航海No.56「インターネットの光と闇」特集(http://www.shinshokan.co.jp/daikoukai/dai-back55-57.html#dai56)での、斉藤環氏と鈴木謙介氏の対談は示唆に富んでいるのだが、この中で斉藤環氏が「毛づくろい的コミュニケーション」という言葉を使っている。ここでの「コミュニケーション能力ばかり高い人」というのは、この「毛づくろい的コミュニケーション」能力が高い人だろう。
対談の中で、鈴木謙介氏が、電子コミュニケーションが現実に近いようなビデオチャットのようなことが技術的にはできるようになったのにテキストでコミュニケーションをしたがることを指摘、言葉を深読みすることによって、気を遣ったりしなければならず、コミュニケーションから抜けられないという。それに対して斉藤環氏が、

それは2ちゃんもそうだし、ブログもそういうところがある。携帯のメールなんてまさにそうです。結局つながりたい欲求が最初にあって、ぼくの言葉でいえば、毛づくろい的コミュニケーションですね。ぼくの考える「コミュニケーションの達人」とは、内容のない話をいつまでも続けられる人です。話題がなくてもだらだらしゃべってるのはかなりコミュニケーション当事者にとっては心地よい。実際、若い患者のメールを見せてもらうと、本当に一行か二行しか書いてない。大事なことは来た瞬間に返しているかどうかとか、形式的な部分です。内容はテンプレがあるから何でもいい。やっぱり、つながっていたいという、つながる強度みたいなものがより重視されていて、内容はむしろ邪魔という感じすらある。

と語っている。
ARTIFACT ―人工事実― : 雑談だけで会話を続けるのは難しい
http://artifact-jp.com/mt/archives/200512/chatconversation.html
この話にも繋がる。

「思いついた瞬間に話さないと気が済まない人」なんだろうけど、会話には流れがあるんだから、相手の話が一段落ついたところで言うべき。

「思いついた瞬間に話さないと気が済まない人」問題は、この時にも書いてたか(笑)。