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Webに文章を書くということ。

http://d.hatena.ne.jp/nancy/20040617#1087481830
http://d.hatena.ne.jp/migiri/20040617#1087489401
こちらを読んで思ったことを徒然。
ぼんやり考えていることは、可能な限り言語化する努力をしないと、自分の中で定着しない。だから、まず人に話す。そこで、また新しい角度からの見方などが出てきたり、自分の中でぼんやりしていたものが言葉になったりする。そこで出てきたものを自分でまとめる。しかし、誰も読まない文章をわざわざ書くのはつらいので、発表場所としてWebを利用している。
文章を仕事にしている人が金にならない文章をよく書くよね、という指摘があるけど、Webに書く文章というのは、試作型*1のようなものだ。そして、読んだ人の反応を見たりして、更に改良して、量産型(商業誌の原稿)へと発展させていく。
それとは別に、こういう「考えること」自体を重視するという発想自体、世間の中では特殊なのかもしれない。ただ生きていくだけなら、あんまり考えずに生きていくことのは可能である。しかし、それは自分が思う「良い生き方」でない。何か考えたって世の中変わらないから…と諦念することは簡単だけど、自分の行動の指針を作るために考えることは重要だと思っている。

http://d.hatena.ne.jp/migiri/20040617#1087489401
私がもし自分のなりたかった姿になりきって理想の姿を演じながら日記を書いているのだとしたら、それは多分失敗だなーと思う。

よくネットは自分のなりたい姿でいられる、といわれる。でも、知識のない姿(異性など)を演じるためには、知識の収集など、相当のコストを払う必要がある。
簡単なのは、自分の性格や嗜好性のうち、一部のみをネットで出すことだ。自分の中の醜いと思う部分は隠せばいい。自分を「編集」するわけだ。人に見せたい部分ばかりを公開すれば、人はその部分のみを認識してくれる。
ネット上で文章を公開している人は、自分のどういう部分を公開しているか、ということを意識しておくと、ネット上で自分というキャラがどう認識されやすいのかがわかりやすいだろう。

*1:ガンダム』のせいで誤解されているけど、現実の世界において、試作型というのは大した性能は持っていない。とにかく形にしてみる、というのが優先されているからだだ。『ガンダム』のように、高い資金をかけて、コストの高い技術などを導入して作ったのは実験機だろう