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最近はオーディオブログです

livedoor blogのアダルト充実ぶり

最近、ランキングシステムがいろいろ変更になっているlivedoor blogだけど、アダルトは完全別枠に。ランキングをアクセスメインにしたら、アダルトが占拠してしまったため。
http://blog.livedoor.jp/staff/archives/4974691.html
アダルトのランキングの1位は約3万ptで一般の1位は約2万pt。
http://blog.livedoor.com/category-99.html
最近のlivedoor blogは記事閲覧、記事編集ともに重くて、ユーザー増加ぶりが伺える。

民主岡田代表「海外で武力行使可能」国連決議など前提

http://www.asahi.com/politics/update/0730/001.html
民主党は、自民党のようにアメリカとの協調路線ではなく、国連協調路線を選ぶと。自民、民主、どちらが政権を握るにしても、憲法9条改正に対して積極的であるという意思表明は見えてきたなあ。
http://www.asahi.com/politics/update/0730/005.html
アーミテージ米国務副長官の「9条が日米同盟関係の妨げの一つになっている」という発言は修正していたのね。アメリカの希望で9条修正した場合、それって押しつけ憲法にならないんだろうか。アメリカの押しつけ憲法であることを改正の根拠にしている人はその辺どう考えているのか気になる。
新現実 Vol.3 (カドカワムック (199))
この辺りの憲法9条の問題を考える時、新現実3号は、読みにくくてひどいデザインだけど、宮台真司大塚英志の対談は思考を整理するのに参考になった。宮台はどうせ改正されるのなら、田吾作に仕切られずにまともな改正をという考えで、大塚は9条は改正せずにできるはずだという考え。また、国民が政府の政策に対して違憲を申し立てる方法として裁判を利用する話も参考になった。
大塚が参加しているのは愛知主体の「自衛隊イラク派兵差し止め訴訟の会」(http://www.haheisashidome.jp/)だがこういう運動は結構一般化しているらしい。
http://comcom.jca.apc.org/iken_tokyo/
自分の考えとしては、ヘタに改憲して歯止めをなくすより、現状の解釈改憲のほうがいいのではと思っていたんだけど、そう言っていた宮台がスタンスを変えているのを見ると、そういうなあなあも限界がありそうだなーとは思う。
この話題に関連するかなーと思ってメモ。朝日新聞が2年ごとの憲法記念日に行う憲法アンケートで大変興味深いデータがあった。
憲法9条を改正して軍事力の保持を明記すべき、という質問に対して、改正すべきが48%、改正しないが43%という年が近年にあったのだ。それは1980年。何かと思ったら、アンケート直前に旧ソ連アフガニスタンに侵攻していた。あの時の日本人は旧ソ連の日本侵攻を現実に可能性があるものとして受け止めていたということだ。その頃は、子供だったから、全然実感が湧かなかった…。

左翼の人が想像する「日本の戦争」

『戦争のつくりかた』という自主制作の絵本が売れているという話を朝日で読んでいたけど、Webで現物を読めた。
http://smile.hippy.jp/ehon/
こちらは公式サイト。
http://www.ribbon-project.jp/book/
新聞での紹介記事。
http://www.asahi.com/national/update/0626/023.html
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040616/mng_____tokuho__000.shtml
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/20040704/news006.html
いつのまにか7/27にマガジンハウスから発行されることに。『世界がもしも100人の村だったら』(ASIN:4838713614)もマガジンハウスだったし、ほんと機動力が高いなあ。と思ったら、東京新聞の記事によれば『世界がもしも100人の村だったら』の関係者がいた。
言及しているはてなを探しやすくするためにメモ。
http://d.hatena.ne.jp/http?//smile.hippy.jp/ehon/
http://d.hatena.ne.jp/http?//www.ribbon-project.jp/book/

さて、読んでみると想像の範疇で、いかにも左翼の人が作ったという感じ。これを読んで、危機感を感じられるメンタリティの人は、何らかの動きをしてそうな気がする。社民党に投票するとか。
日本は戦争をできる国になりつつある、というのが左翼の人の主張で、それは実際そうだとは思う。じゃ、どういう戦争をする可能性があるのか、というのを聞くと、未だに第二次世界大戦のような、徴兵されて、外国で戦って…なんて国家総力戦の話が出てくる。いわゆる「軍靴の音が聞こえる」とか「戦前に戻る」ってやつだ。この絵本もそうだったが、どうも未来の戦争への想像力がないのではという感想を持ってしまう。右の人は「戦争をしかけられる」(北朝鮮とかね)恐怖を煽るが、左の人は「戦争をしかける」恐怖を煽る。でも、どっちも極端過ぎる想像ばかりで現実的な話は言わない。
今、普通の人が一番持っているであろう戦争に対する危機感は「テロ」であって、かつてのような国家総力戦ではない。そこに対する視点が抜けていると普通の人に届かないんではないだろうか。
そういう意味ではテロ(テポドンによる攻撃は戦争というよりテロだろう)を起こしそうな北朝鮮の恐怖の方がわかりやすいから、普通の人に届きやすいんだろうなあ。

高畑勲に沖縄戦を映像化させよう

そういう総力戦への恐怖を主張したいのなら、前から考えていることが一つある。『火垂るの墓』でトラウマに残る映像を作り出した高畑勲第二次世界大戦沖縄戦をアニメ化してもらうのだ。『プライベートライアン』を見て「上陸戦の前線だけには立ちたくない…」と思わされたように、日本で唯一の地上戦をしっかり描けば、反戦教育には最適な材料ができるはずだ。

身内の繋がりを強化するためか、新しい繋がりを作るためか

http://d.hatena.ne.jp/summercontrail/20040730#p3
パブリックな場であるということに無頓着に、内輪話に打ち興じている点

よく雑誌などに対していわれる「公共の誌面の私物化」と同じ構造の指摘ですよね。商業ベースの雑誌のように誰でも書ける訳ではなく、ある程度の基準がないと発表できない場所なら「公共」というのはわかるんだけど、Webサイトのように発表は平等(読まれることに関してはもちろん平等ではない)の場所は「公共」なのか?という疑問があったために、「公共」という概念は思い浮かんだものの言及しませんでした。
掲示板などのように多数の利用者がいるような場所は公共性が高いだろうけど(最初から身内でやっているところは別)、個人サイトは結構微妙な場所です。まず、執筆者側と閲覧者側で意識が違ってそうで、執筆者からすれば自分の城だけど、閲覧者からすれば誰でも見られる場所だから公共の場。
はてなWeblogが開かれた場に見えやすいというのは、コメントやTrackBackなどのシステムがあるから、閲覧者側からすると情報発信に重きを置いている(=公共性が高く見える)ように見えるからでしょう。
だから、「情報発信に重きを置いているように見える場所」(不特定多数に向けている)で「内輪話に興じている」(身内に向けている)のを見ると、「けまらしい」といわれるような感覚を呼び起こすのではないかと。
http://d.hatena.ne.jp/pavlusha/20040729#p5
でも、こちらでJUGEMのトラブル絡みで指摘されているように、実はWeblogサービスというのは執筆者側からすると、情報発信よりコミュニケーションが重視されている傾向もあり、その辺で執筆者側と閲覧者側に意識の差がありそうです。
コメントやTrackBackといったシステムを、情報発信に対する反応を効率よく受け取るための仕組みと見るか、とにかく繋がりを作るための仕組みと見るか、といった違い。前者は閲覧者側からで、後者は執筆者側の視点。
Weblogは新しい人と知り合うためのシステムと見られがちだけど、今後は身内(既に知っている人)との繋がりを強化するために使う人も増えるでしょう。
JUGEMのトラブルを、ユーザーは「印刷所が数日止まった」と受け取らずに、「電話が数日止まった」という受け取り方をしている感はあります。
なお、携帯でよく見られるような繋がることを目的としたコミュニケーションに関する考察としては澁川さんの「寂しさ再生産」という記事が面白いので未読の方はどうぞ。
http://it.nikkei.co.jp/it/njh/njh.cfm?i=20040320s2002s2
追記:
http://www.asvattha.net/soul/index.php?itemid=370
charlieさんのところで、社会学的には、ネットワークメディアには「関係を拡大させる」機能と「関係を緊密にする」機能というふたつの面があることが指摘されていたという記述があって納得。

GREE開発者田中良和氏インタビュー

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0407/30/news006.html
これを読んで、従来のネットのコミュニケーションの延長で楽しみたい人向けのmixi、普通の交友(会社や学校単位での付き合い)の延長を楽しみたい人向けのGREEという違いが思い浮かぶ。個人的には、自分の交友をわざわざ会社や学校で区切る必要を感じないので、GREEは楽しめないけど。